いずれも文芸評論から現代思想へ大きく転回した時期の論考で、かなり基礎論的なところがある。
第二巻の隠喩としての建築については、反哲学入門(木田)の併読を要した。柄谷によると
カントは経験(感性)と観念(理性)の総合のために想像力(判断力)をおいた。彼によって、例えば
神が考えられるから実在するとするのは形而上学的思考であるとして厳しく退けられた。もの自体
には触れられないから上記3者を駆使して、慎重に接近しようというのが彼の意見である。
柄谷は精神分析とマルクスの手法を愛用しており、第三巻は、後者の集大成とよめる。
(精神分析については第四巻と第五巻で。。。。)
もの自体をグローバル資本主義と考えると感性にあたるのは、資本蓄積欲動であり、
理性にあたるのは取引の信用体系であろうか。では、それを仲立ちしている想像力とは?
国家・民族のフレーム内で構想される景気判断であろう。今後、ユースバルジで石油利権は
不安定になり、天然ガスや水素が注目されるとすると、環境問題は一安心だが食糧問題は
喫緊の課題となろう。昆虫食が注目されるのもそれである。ロボット技術やIT技術は結局
単純労働力の否定につながる。では、余剰人員はどこへ? 農業・漁業・牧畜しかない。
かなり妄想をたくましくしているが。。。。。
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