2015年1月6日火曜日

歴史と反復 柄谷定本集 第五巻

このあと、世界史の構造ー帝国の構造、哲学の起源ー柳田国男論の2系統にわかれて柄谷の

論考がすすんでいく。気になるのはインドやイスラム圏といった中央アジアならびにアフリカの

論考がすくなく、中南米や南アフリカ・オーストラリア・カナダについては、まったく言及がない。

(一部http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011100900010.html で評論はしているが)

米中にはさまれた日本という構図での論考が目立つ、たしかに日本人には重要課題だが。。。

序章として フランス第二帝政の成立過程に、世界初の普通選挙、代表制の危機、そして、その想像的揚棄という道筋が見える。市場開放と保護は本来矛盾するが、それを解決するかのようにボナパルトはふるまった。ファシズムやニューディールは、一種のボナパルティズムである。
日本の場合 近衛文麿はボナパルティストであり、彼の昭和研究会にはマルクス主義者の尾崎秀美も参加していたし、岸のような革新官僚からも支持されていた。

近代日本 明治10年の西南戦争と昭和11年の226事件、明治37年の日露戦争と昭和26年の講和会議、明治44年の条約改正と昭和44年の沖縄返還は歴史の反復である。自由民権運動のなかにあったアジアとの協調路線は国会開設とともに一部忘れ去られ、帝国主義的アジア進出がはじめられた。「万延元年のフットボール」で鷹四はアレゴリーな暴力性を示している(三島由紀夫)。日本における非帝国主義的アジア主義は言説者をもたないファルスでありビオランスである。「1973年のピンボール」(前著のパスティシュ)は、新たな内面や風景の創出であり、その独我論が今日では自明になっている。「無表情なアイロニーの実践」を経て、彼はロマンスを書いた(ノルウエィの森)。1980年に歴史は終わり、大江は悲嘆したが、村上は平然とした。
仏教とファシズム 16世紀に加賀・堺の浄土真宗や京都の法華宗を生んだのは仏教の世界宗教性をしめしている。西日本において広がったイエズス会は仏教の一派と思われた。しかし、家康はこうした超越を禁止した。明治の仏教再建は西洋に対抗する理念として知識人に浸透した。個人と全体が絶対矛盾的自己同一であるなど。。。しかし安吾は、これを批判し、現存在の本来性を他者にさらされてることとした。また武田は仏教を唯物論としてとらえた。


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