(『村』(1983・冨山房)『町』(1969・冨山房)『館』(1967・冨山房))
『村』はフォークナーの長編小説。1940年に発表、後の『町』(1957)、『館(やかた)』(1959)と
ともに、いわゆるスノープス三部作をなす。『村』では20世紀初期、ミシシッピ州
ヨクナパトーファ郡ジェファソン町の外れのフレンチマンズ・ベンドという貧しい村に、
アブ・スノープスという、プア・ホワイト(貧乏白人)の一族が現れ、長男のフレムが村の
有力者バーナーの店の店員になり、やがて野性的な若者の私生児をはらんだ
店主の娘ユーラと結婚して、しだいに権力を得てゆく経過が語られる。
同じスノープス一族で牝牛(めうし)を愛する白痴アイクや、貧ゆえの憎しみから隣人を殺すミンク、
さらには荒馬の競売や埋め金探しなどの挿話が、一種のブラック・ユーモアを交えて語られ、
最後にはフレムがさらに成功を求めてジェファソンの町へ向かう後ろ姿が描かれる。
『町』では、フレムが町の銀行の副頭取になり、かつ妻ユーラの情人である頭取のド・スペインを
追い落として、ついに頭取にのし上がって、その館に移り住む。
『館』では、最高の地位を極めたフレムを、『村』に登場したミンクが、自分を助けにきてくれなかった
恨みのゆえに、40年近くの刑務所生活ののちに、ついに射殺して復讐(ふくしゅう)を遂げる。
あとの二作品には、ユーラおよび彼女の娘リンダと、スノープスの跳梁から人々を守ろうとする
地方検事ギャビン・スティーブンズとのプラトニックな愛が描かれて、
ミンクの復讐とともに、フレムの代表する出世主義の批判をなし、また全編に、
冷徹な眼をもったミシン販売人ラトリフが登場して、陰に陽にその批判を裏づける役目を果たしている。フォークナー後期の集大成的な作品群である。[大橋健三郎]
(納屋は燃える)
舞台は、19世紀末の米国南部。 幼い少年サーティ・スノープスの父であるアブナーは、
地主の納屋に火を放って焼き払ったとして、町から去ることを強いられる。
話の冒頭の裁判の場面で、サーティは尋問に呼ばれるが、アブナーが犯人だとする
明白な証拠が出てこないまま、スノープス一家は郡外へ退去することを命じられる。
一家は、ド・スペイン少佐の分益小作人としてアブナーが働くことになる新しい場所へと
移動するが、アブナーは、自分の目に自分の名誉を守るために必要だと映ることには、
権威に反抗せずにはいられない。新たしい場所にたどり着いた直後、アブナーはド・スペイン
少佐の屋敷を訪れるが、金色の絨毯に馬糞まみれの足跡を付ける。ド・スペイン少佐は
絨毯を洗うようアブナーに命じるが、アブナーは、きついアルカリ性の石けんを使って、
絨毯を修復できないほど傷めた上で、ド・スペイン少佐の家の正面ポーチに放り出す。
ド・スペイン少佐は絨毯の価値に見合う罰として、アブナーに20ブッシェルのトウモロコシの
供出を課す。裁判では、治安判事が罰金の額を減じて10ブッシェルにした。再び機嫌を悪くした
アブナーは、今度はド・スペイン少佐の納屋に火を放つ準備をする。サーティはド・スペイン
少佐に、父親が納屋を燃やそうとしていることを告げた上で、父親の元へ逃げ帰る。
少年は馬で追いかけてきたド・スペイン少佐にすぐに追いつかれるが、溝に飛び込んで
身を潜め、やり過ごす。サーティは2発の銃声を聞き、父親が撃たれたものと思い込むが、
誰が撃たれたかは作中では語られない。
なお、この父親と、サーティーの兄は、「納屋を焼く」以降の作品にも登場する。
父親から深い影響を受けた少年は、家族の許には帰らず、自分の人生をひとりで生きて行く。
文中には、事の20年後になって、長じたサーティが当時を振り返る言葉が盛り込まれているが、
それまでにサーティがどのように生きたかは語られない。
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/DBd0290508.pdf
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