2019年11月29日金曜日

社会学史 その4 大澤真幸


意味構成システムとしての社会
 ルーマンとハーバーマスの論争 ハーバーマスの批判的社会理論(フランクフルト学派)はナチの起源を解明した
 ハーバーマスは公共圏が官僚制資本主義で解体された つまり道具的理性が重視され成果指向的となる とした
 人間の回復こそ大事と主張した ルーマンは、中心は人間でなくコミュニケーションであると反論
ルーマン社会学:
  社会を1.機械 2.生体 3.意識もしくは精神 4.社会の各システムで構成するものとみなす
 前3者は自己組織性をもつオートポイエシス・システムであり、3と4は意味を構成している
 3は思考が中心 4はコミュニケーションが中心 
 意味は可能性の地平の中での否定(すなわち区別)によって定義される
 意味は3つの独立する次元(事象的、時間的、社会的)で対象を一般化する
 社会的次元の一般化がコミュニケーションに関連する 情報を選択し、伝達し、相手はそれを理解する
 ただし選択と伝達にはオブジェクトレベルとメタレベルが含まれ、理解も両方が要求される
  環境を、システムがそこからの差異によって自身の同一性を維持するときに参照されている、システムの
 外部の一般と定義すると、システムには、環境とくらべて複雑性が小さくなっている、この複雑性の縮減
 すなわち可能性の削減の方法としてオートポイエシスがある システムは操作的にとじているが他システムと
 カップリングしている 縮減の程度がすすむことが進化としてあるが、そのためにシステムは複雑化を要する

フーコー
 近代のエピステメーの中心には『人間』がおかれる。ここにいう人間は先験的2重体であり、神と人の領域にわかれてあったものが
 再び人間に統合されたとされる。しかし、人間はさらに消滅にむかっておりコミュニケーションが主となりつつある。
 フーコーの言説分析はルーマンの根源的構成主義と同じイデア ただし、両者には批判がされた つまり実在が構成された
 ものであることを示す研究は、構成されざる客観的実在を暗黙に前提しているが、両者のあいだの線引きは恣意的ではと
 さて、言説の集合の縮減または希少化をおこす要因こそ『権力』である これは従来の抑制的なものとしてでなく
 規律訓練型のような生成的なもの、つまり生権力としてある これにより個人は告白の反復を強いられ
 告白しきれない『内面』が形成される これこそ近代人である ただし生権力の起源はヘブライズムにおける牧人権力である
 では、どうやって権力に抵抗するか 権力と主体の循環である牧人権力からの解放としてヘレニズムを目指した
 その方法は『汝自身を知れ』という『自己への配慮』 

ルーマン(ドイツ)とフーコー(フランス)は現代社会学のツインピーク

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