2023年10月21日土曜日

日本古代史のまとめ

 高地性集落の分布は、弥生中期に中部瀬戸内と大阪湾岸に[3]弥生後期に近畿とその周辺部にほぼ限定されている。倭国大乱は弥生末期の2世紀後半。

高地性集落は、古墳時代(3世紀中ごろから6世紀末まで、592年に飛鳥がはじまる)前期には、西日本の広島・鳥取に、北陸の富山・石川・新潟に分布する 

3世紀は尾張の協力で大和建国(卑弥呼は247年に死亡、トヨの記事266年以降150年は大陸との交流なし 369年に百済より石上神宮の七支刀) 古墳は3世紀中頃より出現!

実在したとすれば崇神(ニギハヤヒ?)は4世紀前半で以後応神以前まで纒向に宮あり

関裕二が同時期という神武と欠史八代は橿原に宮の記載あり、また神功皇后もほぼ同時期という

4世紀に大和が北九州と融和?(吉備と出雲の協力) つまり神武、崇神、応神は同時代?

少なくとも近畿で3世紀末に九州の埋葬文化であった銅鏡が古墳におさめられるようになった

5世紀に瀬戸内航路の安全開拓(雄略天皇) 

景行は4世紀中期、神功皇后が仲哀天皇をみとったのは362年(古事記)

応神〜雄略が5世紀(倭の五王) 河内王朝として河内湖の干拓と巨大古墳

6世紀に前飛鳥時代が始まる(継体と磐井) 

7世紀は飛鳥時代! 8世紀が奈良時代!

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