2014年9月14日日曜日

美術館としての歴史、美学の効用 柄谷定本 第四巻 その3

美術館としての歴史
  フェノロサは東京美術学校をつくるにあたって、音楽学校とは逆に日本美術・東洋美術からはじめた。ナショナリズムは一般的に、美学的な意識において成立する。国学における物の哀れ論は自国中心に受け入れられたが、視覚芸術は、まず他国の認知を獲得してから自国に受け入れられる。美術館は18世紀末に形成されたが、日本では1889年である。美術館は、特権階級のものであった『知』を公共化し、時間的な順序を空間的に提示する(西洋中心主義にしたがって)。岡倉天心は、ヘーゲルの弁証法的美学を批判し、『東洋』を発見した。それは多様なるものの同一性、愛であり西田の『絶対矛盾的自己同一』にちかく、『近代の超克』の先駆者となった。彼は、日本を東洋の博物館的美術館とみなした。フェノロサのコスモポリタン主義も一種の西洋中心主義であり、エマソンの超越主義を基礎におき、反ヨーロッパを目指すものであった。そして第一次大戦後、アメリカが文化的なヘゲモニを獲得するのは1929年のNW近代美術館の設立、抽象表現主義の言説によってである。

美学の効用
 サイードの『オリエンタリズム』は公民権・ベトナム反戦運動下のアメリカでのみ受け入れられた。他者をたんに科学的対象として見下すこと(啓蒙主義)と、美的対象として見上げる(ロマン主義)ことは、互いに背馳するものではなく、むしろ相互に補完しあう。
 カントは趣味判断を、科学認識的・道徳認識的判断を括弧にいれる(無関心化)こととした。関心の放棄がむつかしいことを、能動的に放棄することに快を見出す(美術館におかれた便器を芸術とみなす行為など)。崇高とは、宗教的畏怖ではなく、その前で人間の感性的な有限性を乗り越える理性の無限性の概念と定義した。自然科学は趣味判断(美醜などの快不快の感情)・道徳判断(善悪)を括弧に入れる。さらに、貨幣経済は、科学・道徳・趣味をすべて括弧にいれ利益という関心のみがプレーヤーである。カントは純粋道徳をめざしたことき、道徳すらも基礎づける利益=幸福=効用を括弧に入れようとしたが、それは貨幣経済が確立していたからこそ可能であった。
 カントが明確にしたのは、芸術の美的中心主義は、他の諸関心を括弧にいれる主観的能動性にあることである。帝国主義とは相手を美的にのみ評価し尊敬さえすることであり、審美主義である。ファシズムも、一見して反資本主義的でありながら、そのことによって資本主義経済がもたらす矛盾を美的に昇華するものである。サイードが言いたいのは、他者が存在するということ、つまり認識対象にも美的対象にもけっしてならない個々の人間がいるというこであり、それを抑圧するものにたいして戦い続けるということである。


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