nation=stateと言語学
18世紀後半のロマン派言語学は、ラテン語という文字言語の方言であった過去を忘却し、感情や内面を自由に表現するとした音声言語中心主義から民族言語の重視が生まれた(フィヒテなど)。しかし、科学的言語学は、19世紀にはじまった印欧比較言語学(史的言語学)にはじまった。
それは、言語を音韻において、すなわち、無意識な次元においてとらえると、一定の法則性を示すことを明示した。それは、語族というものを設定したため、ギリシャ語とヨーロッパ語が近縁であることより、アラビアでのギリシャ哲学の継承/発展の事実は忘却され、さらに反semitismの根拠にもなった。史的言語学は帝国主義のイデオロギーとなったが、ソシュールはその危険性を批判した。語族は、現実の民族史とは関係がないのだ。
ソシュールは内的言語学を考えた。音声言語と文字言語は異なるとした。ロマン派とは別の論点から、話し言葉を重視したが、有機体的言語の成熟/衰退を否定した。史的言語学では、言語は、政治文化体制の継承のような外的なものによる偶然的所産の影響が無視され、あたかも内的な連続体と見なされるが、内的言語学では共時的体系を設定し、前者の目的論的/進化論的見方を否定する。差異は偶然うまれ、体系変化は非連続というとき、レマルク主義にも関わらず社会的ダーウイン主義を唱えたものたちより、はるかにソシュールはダーウイン的である。ソシュールは、言語によってあるという人間の存在条件のみを重視した。
宣長はロマン派と相通ずる。彼は漢字(詞)仮名(辞)混交である日本語において、儒教/仏教の知/道徳に対し感情(もののあわれ)を優位においた。そして、これはナショナリズムを基礎づけた。時枝国語学は、史的言語学を否定し、国学を評価したが、他民族を日本語教育する立場になったとき、共栄圏言語としての日本語をとなえ、自己矛盾を回避しようとした。西田哲学における、
『我が国の歴史において皇室は何処までも無の有であった。矛盾的自己同一であった。』も、それに近い。
文字の地政学
ラカンの言葉でいえば、仏教による去勢を排除したがゆえに、日本では『自己』が形成されなかった。それは文化古層としての生成的なものを維持した。(仏教、儒教、ギリシャ哲学。。。一般に哲学とは制作的なものである。)それが可能であったのは、朝鮮があったからだ。(エマソンの超越主義もアメリカの国学と考える)彼の地があるため、たまたま他民族の直接支配を受けずにすんだため、歴代の支配者は天皇をあおぐことで、支配体制の維持をはかった。権威を用いれば、暴力を節約できる。
漢字を訓読みするとは、外来的な漢字を内面化することであり、かつ常に外部的なものとしてとどまる。明治において、西洋の概念は、漢字とカタカナで表記され、外部性を保持した。やまとことばとは、起源がわすれられ、ひらかなで表記しても不自然でないほど定着した語である。明治のキリスト教、昭和のマルクス主義は原理をもたらしたが、最終的には抑圧された。つねに日本には原理がなく、主体がない。それは神経症でなく分裂病的である。
フーコーはマルクス=レーニン主義を司祭型権力として批判したが、フランスには容易に解体されない『知の権力』があるので、一定の意味がある。しかし日本やアメリカでは、マッカーシズムにより大衆化社会が到来してしまった。伝統的規範から離れて主体的であるように見えて、実は、まったく主体性をもたず浮遊する大衆の誕生である。それは抑圧的な権力ではなく、排除による権力である。気づくのさえむつかしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿