2015年11月11日水曜日

響きと怒り

第1部「1928年4月7日」[編集]

第1部はベンジャミン・"ベンジー"・コンプソンの語りである。ベンジーはその白痴故に一家の恥の源となっている。ベンジーの世話を心から行おうという数少ない人物はその姉のキャディと黒人女召使のディルシーである。その語りは全体に脈絡の無さで特徴付けられている。その期間はベンジーが3歳の1898年から現時点の1928年までであり、継ぎ目の無い意識の流れの中で出来事が寄せ集められている。この部における斜字体の存在は話の重要な転換を示すように意図されている。当初フォークナーは時間の移動を表すために異なる色のインクを使おうとした。この部の時間軸の錯綜はこの小説を特別に難しくしているが、この文体が全体のリズムを形成し、時間軸が整っていないとしても、多くの人物の真の心の動きに対する先入観念のない見方を提供している。さらにベンジーの世話をする人物が時代を追って変わって行くことで時の移りが分かる。現時点のラスター、ベンジーが10代のときのT・P、乳幼児のときのヴァーシュがその例である。
この部ではベンジーの3つの愛情を見ることができる。すなわち炉火の光、かつてコンプソン家のものだった土地に造られたゴルフ場、および姉のキャディである。しかしキャディは生んだ子供が夫との間の子ではなかったために夫から離婚され、現時点ではコンプソン家から消えてしまっている。一家は長男のクウェンティンをハーバード大学で学ばせるための金を作るために地元のゴルフクラブにお気に入りの牧場を売ってしまっていた。小説の冒頭でベンジーは召使の少年ラスターと同行しており、ゴルフ場のゴルファー達を見ながらお気に入りの姉の名前「キャディ」をゴルファー達が呼ぶのを聞こうと待っている。ゴルファーの一人がゴルフ・キャディを呼んでいるとき、ベンジーの心の中では姉に関わる記憶がめまぐるしく入れ替わり、一つの重要な出来事に行き着く。つまりコンプソン家の子供達4人の祖母が死んだ1898年であり、その葬儀の間子供達は外で遊ぶことを強いられている。キャディは家の中で進行していることを見るために庭の木に登り家の中を覗いているが、その兄弟、クウェンティン、ジェイソンおよびベンジーは上を見上げてキャディの下着が泥で汚れていることに気付く。この出来事はベンジーの最初の記憶であり、残りの物語を通して彼はキャディと樹木を結びつけて考えるようになる。現にベンジーはしばしばキャディは樹木の匂いがすると発言する。この部の中でもう一つ重要な出来事は、ベンジーの障害が明らかになった1900年に、それまでのモーリーからベンジーに名前が変えられたことである。モリーは伯父(母の兄)の名前を貰ったものだった。1910年のキャディの結婚と離婚、および門の鍵が外れていてベンジーが監視されていなかった時に少女を襲ったことからベンジーが去勢されたことはこの部のなかで簡潔に語られている。

第2部「1910年6月2日」[編集]

コンプソン家の子供達の中でもっとも知的で自責の念に苦しめられているクウェンティンはフォークナーの叙述法の好例を与えている。クウェンティンはハーバード大学の一年生であり、ケンブリッジの通りをうろつきながら、死を考え、妹のキャディと家族が離反したことを回想している。第1部と同様にその叙述は厳密に時系列ではないが、ハーバードにいるクウェンティンと記憶の中にいるクウェンティンとのあざなえる2つの糸ははっきりと区別できる。
クウェンティンの主要な妄想の対象はキャディの処女性と純潔である。南部の騎士道精神に取り付かれ、特に妹を初めとする女性の保護を必要と考えている。キャディが性的な放縦さに陥ったとき、クウェンティンは驚愕する。父親に援助と相談を持ちかけるが、実用主義のコンプソン氏は処女性は男が創作したものであり、深刻に考えるべきではないと告げる。さらに時が全てを解決するとも言う。クウェンティンは父が間違っていることを証明しようと時間を費やすが、できないでいる。1909年秋にクウェンティンがハーバードに向けて旅立つ直前に、キャディはドールトン・エームズの子供を妊娠し、クウェンティンはエームズと対決する。二人は戦い、クウェンティンが惨めに敗北する。キャディはクウェンティンのために二度とエームズとは話をしないことを誓う。クウェンティンは父に近親相姦を犯したと告げるが、父は彼が嘘をいっていることが分かる。「すると彼、おまえはあの娘(こ)にそれをさせようとしたのかね。 そこでぼく ぼくはこわかったんです妹がそうするんじゃないかと思ってこわかったんですそれにそんなことをしたってなんにもならなかったでしょう[2]」クウェンティンの近親相姦という観念は、もし彼らが「何かひどくおそろしいことをしてしまって、ぼくたち二人のほかはみんな地獄から逃げだしてしまいさえするものなら[3]」、彼女がどのような罪にたえるとしても彼女と結合することで妹を守ることができるという観念から形作られている。クウェンティンの心の中ではキャディの罪に対して責任を取る必要があると感じている。妊娠し一人ぼっちと感じたキャディはハーバート・ヘッドと結婚する。クウェンティンはヘッドに反発するが、キャディは決断している。彼女は出産するまえに結婚しなければならない。ハーバートはその子供が自分の子ではないと分かり、母(キャディ)とその娘を恥辱の中に追いやる。クウェンティンは授業をサボってハーバードをうろついているが、キャディを失ったことに対する悲痛の過程を辿っている。例えば、英語をしゃべれないイタリア人移民の少女と出遭う。ここで重要なことはクウェンティンが少女を「おねえちゃん」("sister")と呼ぶことであり、その日の大半を通して少女との対話を試み、少女の家を見つけてあげようとするが、徒労に終わる。クウェンティンは南北戦争後の南部の凋落と浅ましさを悲観する。彼の周りの世界における超道徳性に対処できずに自殺する。
この小説を初めて読む者の多くはベンジーの部が難しいと言うが、その同じ読者がクウェンティンの部は近づきやすいと言うことが多い。時点の転換が頻繁に行われるだけでなく、(特に終わりの方で)フォークナーは完全に文法、綴り、あるいは句読点を無視していることが多く、区切りのない言葉、句、文を長ったらしく書き続け、ある思考が終われば、次の思考が始まっている。この混乱はクウェンティンが重い抑鬱状態にあり、精神に異常を来たしかかっているためである。それゆえにこの部は弟のベンジー以上にクウェンティンを信頼できない話者に仕立て上げている。この部の非常な複雑さの故に文学者が最も広範に研究する対象になっている。

第3部「1928年4月6日」[編集]

第3部はコンプソン家の母キャロラインのお気に入りで3番目の子供のジェイソンによって語られている。時は第1部ベンジーの前の日で、グッドフライデー(復活祭前の金曜日)である。3人の兄弟が登場する3つの部の中で、ジェイソンの部は最も単刀直入であり、物質的豊かさに対するその独りよがりの欲望を反映している。1928年では、父の死後にジェイソンが一家の経済を支える者になっている。母、ベンジーおよびミス・クウェンティン(キャディの娘)を養い、さらに召使の家族も居る。ジェイソンの役割は彼を辛らつで皮肉屋にしており、兄や姉にあったような感受性はほとんど見当たらない。彼はミス・クウェンティンの唯一の保護者とキャディに認めさせ、キャディが娘のために送ってくる養育費を着服している。
この部はこの小説で時間を追って語られる最初の部分である。グッドフライデーの時間の進行を追いながら、ジェイソンは再び逃げ出したミス・クウェンティンを探すために仕事を放り出しており、いたずらを求めているようにも見える。ここでコンプソン家の2つの支配的な流れの間にある諍いを見ることができる。ジェイソンの母キャロラインはそれを自分と夫の血筋の間の違いのせいにしている。ミス・クウェンティンの向こう見ずで感情的なところは祖父から受け継いだものであり究極的にコンプソン家のものである。一方、ジェイソンの無慈悲な皮肉屋という性格は母方から受け継いだものである。この部はコンプソン家の家庭内生活についてはっきりとしたイメージを与えてくれており、ジェイソンや召使にとっては心気症のキャロラインとベンジーの面倒を見ることを意味している。

第4部「1928年4月8日」[編集]

第4部は復活祭の日である。この部は単一の話者の視点からは語られていないが、黒人召使一家の強力な女家長であるディルシーに焦点が当てられている。ディルシーは没落するコンプソン家とは対照的にその信仰から大きな強さを得ており、死に体の家族の中で誇り高き人物として君臨している。ディルシーが外を見ることでその強さを得ているのに対し、コンプソン家は内面を見ることで弱くなっているということもできる。
この復活祭の日に、ディルシーはその家族とベンジーを黒人教会に連れて行く。彼女を通じてコンプソン家が長年暮らしてきた退廃と堕落の結果を感じ取ることができる。ディルシーは不当な待遇を受け虐待されているが。それでも一家に忠誠なままである。ディルシーは孫息子のラスターの助けでベンジーの面倒を見ており、彼を教会に連れて行って救済をもたらそうとする。説教師の教えによってコンプソン家のために泣き始め、現在目撃しているコンプソン家の崩壊を通じて見て来たものを思い出させられる。
一方、ジェイソンとミス・クウェンティンの間の対立は避けられない結果に達する。一家はミス・クウェンティンが夜の間に見世物小屋の雇い人と共に逃げ出したことを発見する。ミス・クウェンティンはジェイソンが箪笥の中に隠していた現金を発見し、自分の金(キャディからの養育費をジェイソンが着服していた)と金の亡者になっていた叔父が生涯貯めてきた金を取っていく。ジェイソンは警察に行って自分の金が盗まれたと告げるが、ミス・クウェンティンの金を着服していたことを認めることになるので、それ以上追求できない。それ故に自分で彼女を見つけようと出発するが、近くのモットソンの町で彼女の足跡を見失い、去るままに任せてしまう。
この小説は大変強く、不安なイメージで終わる。ディルシーは教会の後で孫のラスターに、家族の老朽化した馬と馬車(もう一つの崩壊の印)でベンジーを墓地まで連れて行くことを認める。ベンジーは決まりきった生活に嵌まり込んでいたので、その経路のちょっとした変化でも怒らせることになるはずだったが、ラスターはお構いなしに広場の記念碑の周りをいつもと違う方向に曲がろうとする。ベンジーのヒステリックな泣き声と衝撃的な喚きは、誰でもないジェイソンだけが黙らせることができた。ジェイソンはベンジーを宥める最善の方法を知っていた。ジェイソンはラスターを突き飛し、馬車を回したので、ベンジーは急におとなしくなる。ラスターがベンジーを振り返るとベンジーが花を落としているのが分かり、ベンジーの目は「再びうつろで、青々と澄みわたっていた[4]。」

付録: 1699年–1945年、コンプソン家の人たち[編集]

1945年、フォークナーはこの小説に関する付録を書いて、出版予定だった選集『ポータブル・フォークナー』の中に掲載した。しかし、フォークナーの依頼で、その後の『響きと怒り』の再版にはその最後にこの付録が付けられることが多い。第5部だといわれることもある。『響きと怒り』出版から16年後に書かれたこの付録は小説本文と多少の異同を含んでいるが、小説の筋で不透明だったところを明らかにしている。
この付録はコンプソン家の歴史を編年体で完成させたものである。先祖のクウェンティン・マクラカンが1779年にアメリカに渡って来たときに始まり、小説の時点(1928年)以降に起こった出来事も含んでいる。特にキャロライン・コンプソンが1933年に死に、ジェイソンはベンジーを州立精神病院に送りつけたこと、黒人召使を解雇したこと、コンプソン家の最後の土地を売却したこと、その農業用品店の上にあるアパートの一室に転居したことが語られている。またジェイソン自身がベンジーの法的な庇護者であることをずっと昔に宣言しており、母には知らせずにこの位置づけを利用してベンジーを去勢させたことも明かされている。
この付録ではキャディのその後も分かる。小説の中では娘のクウェンティンがまだ赤ん坊のときに現れたのが最後だった。キャディは二度目の結婚と離婚を経験した後、パリに行ってドイツ占領下の時を過ごす。1943年、ヨクナパトーファ郡司書が雑誌の写真の中に、ドイツ軍参謀の将軍と共に居るキャディを発見し、ジェイソンとディルシーそれぞれに彼女を救おうと呼びかける。ジェイソンは一瞥して写真の女性がキャディだと認めるが、司書が助けを求めていることが分かると否定しに掛かる。ディルシーは全く写真を見ることができない振りをする。その司書は後に、ジェイソンがキャディに対して冷たく同情的ではないこと、ディルシーはキャディが他に救うだけの値打ちのあるものが残されていないので、救われたいという思いもその必要もないことを単に理解したということを悟った。
この付録はコンプソン家の召使を務めた黒人一家を列挙することで終わっている。コンプソン家の家族については長く詳細に語り、全知の観点から書かれているのに対し、召使達についてはシンプルで簡潔である。最後に登場するディルシーの場合は、「彼らは耐え忍んだ」という英語では2語だけで終わっている。

2015年10月30日金曜日

『短篇小説の魅力』の抜粋

「作者は何を伝えたかったのか」という考え方をしているかぎり、私たちは本当にその作品を味わうことはできません。ならばどうしたら良いのか。

「ある物語についてその主題を論じられる場合、すなわち物語の本体から主題を引き離せるとき、その作品はたいしたものではないと思っていい。意味は、作品の中で体を与えられていなければならない。具体的な形にされていなければならない。物語は、他の方法では言えない何かを言う方法なのだ。作品の意味が何であるかを言おうとしたら、その物語の中の言葉がすべて必要である。それは何についての物語か、とたずねる人がいたら、正当な答えはただ一つ、その物語を読めと言ってやるしかない」(フラナリー・オコナー『秘儀と習俗』 春秋社)

2015年10月13日火曜日

フランス革命から第二帝政まで

フランス第一共和政(フランスだいいちきょうわせい、Première République française:French First Republic)は、フランス史上初の共和政体である。8月10日事件によるブルボン王政打倒を経て国民公会によって共和政が宣言された1792年9月21日から、ナポレオン1世の下で帝政が宣言された1804年5月18日まで存続した[1]。(テルミドールのクーデターとは、1794年7月27日フランス革命暦II年テルミドール9日)に起きた、フランス革命時における山岳派独裁の反対派によるクーデターである。)
第一共和政は、少なくとも3つの時期に分けられ、3つの政体があった。すなわち、1792年9月20日から1795年10月26日までの国民公会期、1795年11月2日から1799年11月9日までの総裁政府期、1799年12月24日から1804年5月17日までの統領政府期である。
フランス第一帝政(フランスだいいちていせい)は、1804年から1814年および1815年まで存続した、皇帝ナポレオン1世による、強力な軍事力を後ろ盾とした軍事独裁政権。
復古王政(ふっこおうせい、フランス語:Restauration)は、フランス史上、1814年のナポレオン没落後、1830年の七月王政成立までの時代を指す。注:1815年の王政復古は1830年に7月革命で終わり、ブルジョアのための七月王政が始まった。ちなみに『ゴリオ爺さん』は1819年を描いたもの。
1832年のパリ蜂起フランス語:Insurrection républicaine à Paris en juin 1832)は、1832年6月5日から6日にかけて発生した、パリ市民による王政打倒の暴動である。1830年七月革命により誕生したルイ・フィリップ七月王政を打倒すべく、王政の強力な支柱であった首相カジミール・ピエール・ペリエ1832年5月16日に死去した隙を突いた形で、レプブリカンが起こした反乱であり、この鎮圧をもって七月革命以来の実力的闘争は沈静化する。次の暴動は1848年である。ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』において、後半のクライマックスとなる場面の暴動である。)
注:スタンダールの『赤と黒』は、別名1830年代記となっている。
7月王政(しちがつおうせい)は、1830年7月29日フランスで勃発した7月革命の後、オルレアン家ルイ・フィリップを国王とした立憲君主制王政オルレアン朝(オルレアンちょう)とも呼ぶ。1848年2月24日に勃発した2月革命で打倒された。典型的なブルジョワ支配体制で、貴族制の廃止や世襲制の廃止などが実行される一方で、選挙権保持者は前代の復古ブルボン朝に比べ倍増したもののそれでも全国民の0.6%しかいなかった。労働者は無権利に等しく、彼らを抑圧する形で産業革命がフランスで進行する。しかし、普通選挙を求める声が次第に高まり、それが2月革命のきっかけとなった。

六月蜂起(ろくがつほうき、フランス語les journées de Juin)は、1848年6月23日から6月25日のフランス労働者による暴動である。第二共和政失業者に仕事を与えるために創設した国立作業場の閉鎖後に起きた。ルイ=ウジェーヌ・カヴェニャック将軍による鎮圧で、1,500人が殺害され15,000人の政治犯がアルジェリアに追放された。その後カヴェニャック将軍が行政権の長に指名され、ルイ・ブランはその政府から司法による迫害を受けた。このことは「民主的社会的な共和制」(République démocratique et sociale)の望みの終焉と、急進的共和主義者Radical Republicans)に対する自由主義者の勝利を示した。第二共和政はこうしてはじまるも、1851年、ルイ・ボナパルトのブリュメール18日のクーデタで第二帝政になる。

2015年6月4日木曜日

アブサロム、アブサロム

クエンティン・コンプトン三世(その祖父はサトペンの親友だった)にローザ・コールフィールドは話し出す。。。。正体不明のサトペンという男が黒人奴隷団をひきつれて南の湿地からやってきた。インディアンの土地をサギ同然に取得し豪邸を建てる。地方の堅実な家庭の長女エレンと結婚する(コールフィールド家)、その際、エレンの叔母が苦心したが、惨憺たる結婚式となった。その叔母は駆け落ちしていなくなる。エレンの長男ヘンリーは南部からボンという学友をつれてくる。ヘンリーの妹のジョーディスはボンと恋仲になるも、なぜか破局し、長男ヘンリーは父サトペンと義絶する。エレンは死亡する。南北戦争が始まると、コールフィールドは反戦を表明し、部屋にひきこもり死亡する。ボンは実は、サトペンの子供で、しかも他の女性と結婚していた。ヘンリーとボンは南北戦争に参加するが敗戦後にヘンリーはボンを射殺し出奔する。サトペン家には、ジョーディスの異母妹であるクライエティ(黒人奴隷女に産ませた)がおり、エレンの妹(ローザ)も合流して、サトペンの帰りを待つ。サトペンは帰郷してローザと結婚しようとするが、ローザは侮辱されたとして拒否し実家にとどまる。サトペンは使用人ウォッシュの孫娘に子供をはらませるが女子だったので、これを侮辱しウォッシュに大鎌で殺される。

『アブサロム、アブサロム!』はトマス・サトペンの興隆と衰退を詳述している。サトペンはバージニア州西部で貧窮の中に生まれ、これを補完するために裕福で強力な家族の家長となるためにミシシッピ州にやってきた男である。ストーリーの後半はクウェンティン・コンプソン3世とそのハーバード大学のルームメイト、シュリーブによって過去を語る形で、時には前の記述とは異なる詳細さで叙述される。ミス・ローザ・コールドフィールドやクウェンティンの父と祖父の語りも挿入されて、それがクウェンティンとシュリーブによって再度解釈され、ストーリー全体の出来事が年代を行ったり来たりしながら次々と明らかにされる。その結果、タマネギの皮を剥くように、サトペンの真の物語が明らかになってくる。まずローザが、長く脱線しがちな話を偏見のある記憶と共に、クウェンティンに語り始める(第1章)。クウェンティンの祖父はサトペンの親友だった。クウェンティンの父も祖父から聞いた話としてその詳細を埋めていく(第2章 - 第4章)。最後にクウェンティンがルームメイトのシュリーブにその話を語り、さらに互いの言葉で語り直すことで、層を重ねるように話の肉付けを行い、さらなる詳細が明らかになっていく(第6章 - 第9章)。最終的にサトペンの物語の何が真実であるかよりも、人物の態度や偏見についてより確かな感じを抱かせることになる。
フォークナーの文体は、ピリオドもなしに一つの文が延々と続き、時にはハイフンで挿入される文が何十語も間に入るなど、人の語りと思考の揺れを表現しようとしている。1983年の『ギネス・ブック』では「文学における最長の文」として『アブサロム、アブサロム!』の1,287語の一文を挙げていた。

2015年5月22日金曜日

八月の光

響きと怒り、アブサロム・アブサロムとともにフォークナーの代表作
いわゆるヨクナパトーファ・サーガのひとつ。一番実験性の少ない文章。

リーナ嬢 : ブラウンの子を身ごもる、バイロンは一目ぼれで尻に敷かれる
クリスマス: 白人か黒人か不明。ただ皮膚のいろが、羊皮紙色。
        孤児院でそだち、厳格な農家に養子にはいるが、長じて家出する。
        黒人運動家のバーデン嬢と関係をもつが、彼女から
        魂まで支配されそうになり、殺してしまう。
        最後に監獄から脱走するが、州兵のグリムに射殺され
        死の前に、残虐な処置をうける。
ハイタワー: 妻の不貞を理由に牧師を首になり、かつ黒人女をお手伝いと
        して置き続けたのでリンチにあうも、町に居座る。
        バイロンの求めに応じ、リーナの出産を手掛ける。
クリスマスの祖父・祖母: 恥じ多い出産で娘が死に至るも医者を呼ばなかった
                祖父は、孫を孤児院に放り込み、門番となり成長を見守るが
                里親ができたときに、見守りをやめる。祖母は、今回の事件で
                はじめて孫がまだ生きていることを知り、祖父をひきづってくる。
                ハイタワーに犯行時のアリバイ偽装をたのむが、脱走で無駄になる。
ブラウン: ルーカスが偽名で町に現れ、製材所で働くも、クリスマスの密造酒つくりに加担する。
       最後にリーナと一緒にされそうになると、窓から逃げ出す。

凄惨な事件だが、多くの感動的エピソードがちりばめられ、読み応え十分。
バーボンが飲みたくなる。ゴスペルが聞きたくなる。

2015年4月22日水曜日

キャッチコピーで世界史を


紀元前8000年記に定住革命(新石器時代)で農耕と牧畜の始まり。紀元前7000年記、メソポタミアで最初の陶器。 紀元前6000年記、サハラの砂漠化とエジプトへの 人口移動がはじまる、黒海洪水説? 紀元前5000年記、古代エジプトが新石器時代へ。
ー 紀元前40世紀、メソポタミア文明、オリエントは青銅器時代。紀元前39、38不詳、37世紀、ミノア文明。紀元前36世紀、シュメール文明。紀元前36、35、34、不詳、33世紀、気候の寒冷化、エジプト文明。紀元前3123年6月29日 - 地中海上でアピンと呼ばれる小天体が空中爆発を起こした。ソドムとゴモラのモデル。ー 紀元前31世紀、エジプト第一王朝はじまる。紀元前30世紀、ミノア文明。紀元前29世紀、エジプト第二王朝、シュメールの都市ウル全盛。紀元前28世紀、シュメール第二王朝、エジプト古王国建国、紀元前27世紀、ピラミッド建設、シュメール第三王朝。紀元前26世紀、ウル第一王朝、紀元前25世紀、エジプト第四・五王朝。紀元前24世紀、アッカド帝国。紀元前23世紀、エジプト第六王朝。紀元前22世紀、エジプト第十王朝、ウル第三王朝。紀元前21世紀、エジプト第十一王朝、ユダヤ族長時代?、紀元前20世紀、アカイアのギリシャ侵入、紀元前19世紀、ヒッタイトのはじまり、紀元前18世紀、古バビロニア、紀元前17世紀、エジプトにヒクソス王朝、紀元前16世紀、ミケーネ文明がギリシャで、エジプト第18王朝、紀元前15世紀、ヒッタイトの鉄の発明、エクソダス1?、紀元前14世紀、イクナトンの宗教改革、紀元前13世紀、エクソダス2?。1200年のカタストロフの後の紀元前12-10世紀、ギリシャとフェニキアの紀元前6-9世紀、ギリシャからローマへの紀元前5-1世紀、帝政ローマの1-4世紀、西ローマ滅亡の5世紀、中世の暗黒の6-10世紀、大シスマの11世紀、十字軍の12世紀、モンゴルの13世紀、ペストの14世紀、ルネサンスの15世紀、大航海時代の16世紀、寒冷の17世紀、啓蒙の18世紀、帝国主義の19世紀、冷戦の20世紀、さて21世紀は?

2015年2月22日日曜日

極私的近現代史

1860,Me,1,桜田門外の変,リンカーンが大統領就任
1861,Me,2,ロシア軍艦対馬占拠,南北戦争開始
1862,Bk,2,生麦事件,メキシコ出兵
1863,Bk,3,新撰組,ゲティスバーグ演説
1864,Gt,1,神戸海軍操練所,太平天国の乱が終わる
1865,Gt,2,功山寺挙兵,南北戦争終了
1866,Ko,2,薩長同盟,プロシャのオーストリアへの勝利でドイツ連邦解体
1867,Ko,3,大政奉還,オーストリア・ハンガリー帝国
1868,Ko,4,鳥羽伏見の戦い,第一次キューバ独立戦争
1869,M,2,北海道開拓使設置,スエズ運河開通
1870,M,3,東京ー大阪で電信開通,普仏戦争開始
1871,M,4,岩倉使節団出国,普仏戦争終了
1872,M,5,皇居治定,メトロポリタン美術館開館
1873,M,6,岩倉施設団帰国,アメリカ海兵隊のパナマ侵攻
1874,M,7,江藤新平さらし首,日本の台湾出兵
1875,M,8,元老院設置,日本の江華島出兵(仁川)
1876,M,9,国立銀行不換紙幣発行,ベルの電話機発明
1877,M,10,西南の役,英領インド帝国成立
1878,M,11,竹橋事件,エジソンが蓄音機特許取得
1879,M,12,さらし首廃止,エジソンが電球発明
1880,M,13,東京弁護士会設立,第一次ボーア戦争
1881,M,14,斬首廃止,OK牧場の決闘
1882,M,15,板垣襲撃事件,イギリスのエジプト占領
1883,M,16,伊藤博文が憲法調査より帰国,工業所有権の保護に関するパリ条約
1884,M,17,秩父事件,清仏戦争
1885,M,18,日本銀行券発行開始,ベルリン会議(アフリカ分割)
1886,M,19,東大発足・学制発布,ジェロニモの降伏
1887,M,20,東京美術学校・音楽学校発足,ビクトリア女王五十周年式典
1888,M,21,日本標準時発足,パスツール研究所発足
1889,M,22,大隈重信襲撃,エッフェル塔・パリ万国博覧会
1890,M,23,第一回総選挙,電信の世界網が確立
1891,M,24,大津事件,ロンドン・パリ間の電話開通
1892,M,25,伝染病研究所設立,アメリカの忠誠の誓いの始まり
1893,M,26,上野美術学校第一回卒業式,ハワイ王国滅亡
1894,M,27,日清戦争開始・高等文官試験開始,ドレフュス事件
1895,M,28,日清戦争終了,リュミエール兄弟の映画発明
1896,M,29,明治三陸地震,第一回アテネオリンピック
1897,M,30,京都帝大設立,オーストリア・ハンガリー帝国でドイツ語に加えチェコ語も公用
1898,M,31,西郷隆盛銅像除幕,米西戦争
1899,M,32,東京・大阪間で電話開通,コロンビア内乱(1902年まで)
1900,M,33,漱石英国留学,義和団の乱
1901,M,34,星亨の伊庭による暗殺,オーストラリア連邦発足
1902,M,35,早稲田大学開校,纏足禁止令
1903,M,36,藤村操の自殺,ライト兄弟の飛行機
1904,M,37,日露戦争開始,アメリカのパナマ租借
1905,M,38,日露戦争終了,物理学奇跡の年(アインシュタイン)
1906,M,39,日本社会党結成,南満州鉄道設立
1907,M,40,東北帝大設置,英露仏三国協商
1908,M,41,赤旗事件,Tフォード生産開始
1909,M,42,伊藤博文暗殺,米海軍の真珠湾基地建設
1910,M,43,朝鮮併合,南アフリカ連邦成立
1911,M,44,大逆事件処刑,イタリア・トルコ戦争
1912,M,45,夏目の行人,中華民国成立
1913,T,2,森鴎外の阿部一族,アンリ・ベルグソンの心霊研究
1914,T,3,宝塚歌劇第一公演,第一次大戦開始
1915,T,4,芥川の羅生門,対華21条要求
1916,T,5,河上の貧乏物語,中華帝国崩壊
1917,T,6,志賀の城崎にて,ロシア10月革命
1918,T,7,富山の米騒動,第一次世界大戦終了
1919,T,8,米騒動,ナチス発足
1920,T,9,国際連盟加入,アメリカでラジオ放送開始
1921,T,10,原敬暗殺,ワシントン会議と日英同盟破棄
1922,T,11,日本共産党結成,スターリン書記長就任
1923,T,12,関東大震災,トルコ共和国成立
1924,T,13,谷崎の痴人の愛,レーニン死去
1925,T,14,普通選挙開始,ホーチミンがベトナム青年同志会を結成
1926,T,15,労働農民党結成,シュレジンガー方程式
1927,S,2,芥川自殺,スカルノのインドネシア国民同盟
1928,S,3,張作霖爆殺,アメリカでテレビ放送開始
1929,S,4,山宣殺害,世界大恐慌
1930,S,5,共産党員全国一斉検挙,ロンドン海軍軍縮会議
1931,S,6,満州事変,スペイン左翼政権
1932,S,7,満州国設立・515事件,ナチスの総選挙圧勝
1933,S,8,小林多喜二虐殺,ニューディール政策
1934,S,9,東北の冷害・不作,ヒトラーのレーム暗殺、スターリンの大粛清開始
1935,S,10,小林秀雄の私小説論,アウトバーン開通
1936,S,11,226事件,スペイン内乱勃発
1937,S,12,日中戦争開始,ゲルニカ空爆
1938,S,13,国家総動員法,メキシコの石油国有化
1939,S,14,ノモンハン事件,第二次世界大戦開始
1940,S,15,源泉徴収開始,バトルオブブリテン
1941,S,16,真珠湾攻撃,独ソ戦開始
1942,S,17,関門トンネル開通,ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(サラの鍵)
1943,S,18,徴兵年齢が19歳へ繰り下げ,イタリア降伏
1944,S,19,ゾルゲ事件,ドゴールの臨時政府
1945,S,20,敗戦,第二次世界大戦終了・ルーズベルト死去
1946,S,21,農地改革,ベトナム民主共和国
1947,S,22,台湾の228事件,コミンフォルム結成
1948,S,23,海上保安庁設置,イスラエル建国
1949,S,24,下山事件,インドネシア独立
1950,S,25,警察予備隊発足,朝鮮戦争開始
1951,S,26,マッカーサー解任,Hela細胞株の樹立
1952,S,27,サンフランシスコ講和,アメリカでグリーンベレー創設
1953,S,28,NHKテレビ放送開始,朝鮮戦争終了・スターリン死去
1954,S,29,吉田茂辞任,ソ連の世界初の原発開始
1955,S,30,自由民主党開始,チャーチル引退
1956,S,31,水俣病の公式確認,スターリン批判
1957,S,32,岸内閣,スプートニク打ち上げ成功
1958,S,33,東京タワー竣工,バンアレン帯の発見
1959,S,34,第一次安保闘争開始,キューバ革命
1960,S,35,第一次安保闘争終了,ベトナム戦争開始
1961,S,36,農業基本法,ソ連のあとアメリカ有人宇宙飛行
1962,S,37,セコム創立,キューバ危機
1963,S,38,ATS使用開始,ケネディ暗殺
1964,S,39,東京オリンピック,IBM汎用コンピュータ発売
1965,S,40,家永裁判,メディケア・メディエイド開始
1966,S,41,ビートルズ来日,文革開始
1967,S,42,四日市ぜんそく訴訟,ゲバラ処刑
1968,S,43,前年の南ア移植を受けて和田移植,キング牧師暗殺
1969,S,44,赤軍派大菩薩峠事件,アメリカ月面着陸
1970,S,45,三島由紀夫自殺・第二次安保闘争,チリのアジェンデ政権
1971,S,46,米中接近,ニクソンショック
1972,S,47,あさま山荘事件・沖縄返還,ニクソン訪中
1973,S,48,第一次オイルショック,アメリカのベトナム撤退
1974,S,49,田中辞任,ニクソン辞任
1975,S,50,ザピーナッツ引退,マイクロソフト創業・プノンペン陥落
1976,S,51,学校給食に米飯導入,毛沢東死去
1977,S,52,大学入試センター発足,文革終了
1978,S,53,郵便貯金オンライン化,ソ連アフガン侵攻
1979,S,54,NTTが自動車電話サービス,イラン革命・中越戦争
1980,S,55,富士見産婦人科事件,光州事件・トルコクーデター
1981,S,56,国鉄再建法,レーガノミクス・ギロチン廃止
1982,S,57,第一次中曽根内閣,フォークランド紛争
1983,S,58,TDL開業,フィリピンのアキノ暗殺
1984,S,59,グリコ・森永事件,香港返還合意
1985,S,60,豊田商事会長刺殺,ゴルバチョフ就任
1986,S,61,共産党幹部宅盗聴事件,イラン・コントラ発覚
1987,S,62,携帯電話サービス開始,世界の人口が50億を突破
1988,S,63,消費税導入,イラン・イラク停戦
1989,S,64,宮崎勤逮捕,天安門事件・ソ連アフガン撤退
1990,H,2,日の丸、君が代の義務化,フジモリ大統領
1991,H,3,バブル崩壊失われた20年の始まり,ソ連崩壊・湾岸戦争
1992,H,4,暴力団対策法施行,ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争はじまる
1993,H,5,雅子さま御成婚,EU発足
1994,H,6,松本サリン事件,南アフリカ人種差別撤廃
1995,H,7,阪神大震災,インターネット商用本格化
1996,H,8,エイズ謝罪,ペルー大使館事件・台湾初の直接総統選挙
1997,H,9,神戸児童連続殺傷事件,鄧小平死去
1998,H,10,スカイマーク発足,グーグル創業
1999,H,11,東海村臨界事故,NATOユーゴ空爆
2000,H,12,新潟少女監禁発覚,プーチン大統領就任
2001,H,13,小泉内閣,9・11テロ
2002,H,14,石井紘基刺殺事件,小泉訪朝
2003,H,15,住基ネット開始,イラク戦争・人ゲノム全解析・中国有人宇宙飛行
2004,H,16,Winny作者逮捕,イラク暫定政権
2005,H,17,福知山脱線事故,ロンドン同時爆破テロ
2006,H,18,北朝鮮の核実験,アメリカの人口が3億へ
2007,H,19,ステルスの沖縄配備,アイフォーン発売
2008,H,20,リーマンショック,北京オリンピック
2009,H,21,新型インフルエンザ流行,オバマ大統領就任
2010,H,22,公訴時効廃止,核安全サミット
2011,H,23,東北大震災,ビンラディン暗殺
2012,H,24,尼崎事件発覚,北朝鮮の長距離ミサイル発射
2013,H,25,中国の無人月面着陸成功(ソ連の次),宇宙の年齢は138億年
2014,H,26,中国・ロシアの合同軍事演習,オバマケア完全実施
2015,H,27,なし,なし

独断と偏見で年表をつくってみた

2015年2月13日金曜日

帝国の構造 柄谷行人

本書は『世界史の構造』の後半部分の発展と言える 歴史は、ある意味終わっており反復が繰り返されるだけだというわけで定本第五巻の発展とも言える 序論でヘーゲルの理論が紹介される。
悟性としての国家、感性としてのネーション、そして理性としての資本が近代国民国家だという。ドライな経済活動が理性的というのはわかる気もする。一体化した国民感情としてのネーションというのもわかる。悟性としての国家とは? 徴兵・貨幣徴税を納得して治安・福祉を要求する国家主権ということか?


2015年1月6日火曜日

歴史と反復 柄谷定本集 第五巻

このあと、世界史の構造ー帝国の構造、哲学の起源ー柳田国男論の2系統にわかれて柄谷の

論考がすすんでいく。気になるのはインドやイスラム圏といった中央アジアならびにアフリカの

論考がすくなく、中南米や南アフリカ・オーストラリア・カナダについては、まったく言及がない。

(一部http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011100900010.html で評論はしているが)

米中にはさまれた日本という構図での論考が目立つ、たしかに日本人には重要課題だが。。。

序章として フランス第二帝政の成立過程に、世界初の普通選挙、代表制の危機、そして、その想像的揚棄という道筋が見える。市場開放と保護は本来矛盾するが、それを解決するかのようにボナパルトはふるまった。ファシズムやニューディールは、一種のボナパルティズムである。
日本の場合 近衛文麿はボナパルティストであり、彼の昭和研究会にはマルクス主義者の尾崎秀美も参加していたし、岸のような革新官僚からも支持されていた。

近代日本 明治10年の西南戦争と昭和11年の226事件、明治37年の日露戦争と昭和26年の講和会議、明治44年の条約改正と昭和44年の沖縄返還は歴史の反復である。自由民権運動のなかにあったアジアとの協調路線は国会開設とともに一部忘れ去られ、帝国主義的アジア進出がはじめられた。「万延元年のフットボール」で鷹四はアレゴリーな暴力性を示している(三島由紀夫)。日本における非帝国主義的アジア主義は言説者をもたないファルスでありビオランスである。「1973年のピンボール」(前著のパスティシュ)は、新たな内面や風景の創出であり、その独我論が今日では自明になっている。「無表情なアイロニーの実践」を経て、彼はロマンスを書いた(ノルウエィの森)。1980年に歴史は終わり、大江は悲嘆したが、村上は平然とした。
仏教とファシズム 16世紀に加賀・堺の浄土真宗や京都の法華宗を生んだのは仏教の世界宗教性をしめしている。西日本において広がったイエズス会は仏教の一派と思われた。しかし、家康はこうした超越を禁止した。明治の仏教再建は西洋に対抗する理念として知識人に浸透した。個人と全体が絶対矛盾的自己同一であるなど。。。しかし安吾は、これを批判し、現存在の本来性を他者にさらされてることとした。また武田は仏教を唯物論としてとらえた。


隠喩としての建築、トランスクリティーク(カントとマルクス) 柄谷定本集 第二巻、第三巻

いずれも文芸評論から現代思想へ大きく転回した時期の論考で、かなり基礎論的なところがある。

第二巻の隠喩としての建築については、反哲学入門(木田)の併読を要した。柄谷によると

カントは経験(感性)と観念(理性)の総合のために想像力(判断力)をおいた。彼によって、例えば

神が考えられるから実在するとするのは形而上学的思考であるとして厳しく退けられた。もの自体

には触れられないから上記3者を駆使して、慎重に接近しようというのが彼の意見である。

柄谷は精神分析とマルクスの手法を愛用しており、第三巻は、後者の集大成とよめる。

(精神分析については第四巻と第五巻で。。。。)

もの自体をグローバル資本主義と考えると感性にあたるのは、資本蓄積欲動であり、

理性にあたるのは取引の信用体系であろうか。では、それを仲立ちしている想像力とは?

国家・民族のフレーム内で構想される景気判断であろう。今後、ユースバルジで石油利権は

不安定になり、天然ガスや水素が注目されるとすると、環境問題は一安心だが食糧問題は

喫緊の課題となろう。昆虫食が注目されるのもそれである。ロボット技術やIT技術は結局

単純労働力の否定につながる。では、余剰人員はどこへ? 農業・漁業・牧畜しかない。

かなり妄想をたくましくしているが。。。。。