2019年10月19日土曜日

岡田の中国史

だれが中国をつくったか PHP新書より

(か、紀元前1900年頃 - 紀元前1600年[注釈 1])は、史書に記された中国最古の王朝
(いん、拼音Yīn紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)は、古代中国王朝である
(しゅう、拼音Zhōu紀元前1046年頃 - 紀元前256年)は、を倒して王朝を開いた

春秋戦国:前771年から前221年まで

秦は前221年に統一に成功

漢は前206年より後220年までつづく

184年:黄巾の乱(太平道)で後漢ががたがたになる
   同時期に起こった五斗米道は道教の主流となる
   注:中国への仏教伝来はブッダが始めた百年後の前2世紀だが
   経典は3世紀に伝来とのこと
   道教の理論化に大いに用いられた模様

2世紀の終わりに人口激減あって魏の文帝は河南と山東に漢民族を囲い込んだ。約250万人。
多分全中国でも1500万台となり前の5千万から激減 その後数百年かけて6千万になるが
これが上限で19世紀末を迎える

3世紀初頭より三国時代となるが、魏が統一し晋に継承したが五胡十六国時代で混乱
439年に鮮卑系の北魏が華北・華中を統一 華南は宋で南北朝となる
なお倭の五王の最後の武は502年に中国と交通 608年には答礼の裴 世清が来日
アメタリシヒコ(男)とあっているが、推古女帝の時代。。。。663年に白村江で唐に敗れる
その後の隋・唐は鮮卑系 遼・金・元・明・清のうち明以外は征服王朝といわれるが
明の開祖は家柄すらわからない東北の下層出身
なお、遼は華北のみの支配で華中は征服していない
トルコ系の北宋(岡田説)は金においだされ南宋となり華南に移るが、元に滅ぼされる

唐末期:黄巣(個人名)の乱
元末期:浄土教の一種の白蓮教の乱がおこる(紅巾の乱)
清朝末期:キリスト教系の太平天国の乱、そして義和団(武闘術)の乱


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