2019年10月20日日曜日

関の日本古代史

紀元前25世紀:姶良カルデラ噴火          紀元前140世紀で旧石器時代は終わる 以後は新石器
これ以前に岩宿遺跡あり旧石器確認     最終氷期が紀元前700世紀~100世紀、
縄文人の祖先は古モンゴロイドで      それ以後晩氷期の多重振動
最終氷期地続き部分から渡ってきた     紀元前100世紀に世界的に農耕と牧畜が開始(新石器)
紀元前40世紀がピークの縄文海進
で列島孤立化(よって航行技術の発達)
                     
縄文時代:紀元前140世紀から前4世紀  
土器の出現、竪穴住居、貝塚の形成     紀元前50世紀に5大文明(オリエント・印度・中国)
(紀元前50世紀、喜界カルデラ噴火で   紀元前17世紀から前11世紀は殷
南方縄文人が日本中にディアスポラ?)   紀元前11世紀から前3世紀は周
(紀元前10世紀から前4世紀は縄文から  長江文明の終り 紀元前6~5:呉 紀元前6~3:越 
弥生の移行期か?列島中央の遺伝子は弥生化 (以前は楚に滅ぼされた越人が大挙渡来とされていた)
縄文稲作は南島経由の陸稲かも?      紀元前8世紀末から紀元前3世紀はじめを春秋戦国という
熱帯ジャポニカは陸稲)          朝鮮の本流は航海不適応にて南の端の朝鮮と
縄文時代末期に越などから水田水稲渡来人  北九州がゆるい連携をとっていた?

弥生時代:紀元前10世紀から3世紀前半    紀元前3世紀から3世紀初めは秦を経て漢帝国
(土器判定だった頃は紀元前4世紀)    中国系渡来は北九州、朝鮮系渡来は山陰に到着?(私見)
 2世紀後半に倭国大乱と史書にあり              東に向かった彼らが高地性集落を作りつつ大和へ?(私見)
1から3世紀に出現する高地性集落は    神武東征は神功皇后の事績?北九州との和解?
最初は中国・四国、その後近畿、古墳時代  関は崇神(東)と神武・応神(西)は同時代人と!      
初期は北陸に出現 北部九州にはない    神武・応神は彼らが滅ぼした出雲の御子で南部九州潜伏!
弥生末期に鉄器普及、全国的に環濠集落消失 大和建国に貢献した弥生人は新潟から関東まで発展
近畿発祥の銅鐸は3世紀になると消失     縄文の末裔である蝦夷と交流しながら彼らの狩猟技術を
(前方後円墳は主に3世紀中頃から       学んでいき防人や武士の先祖となった
7世紀初頭頃にかけて築造された)      3世紀後半に崇神が実在? 3世紀後半に卑弥呼死す
弥生文化は新潟県から千葉県を結ぶ      (纏向:吉備と尾張の貢献が大きい)
ラインより西側にのみ存在したとされている

古墳時代:3世紀後半から6世紀前半    注:古代出雲は朝鮮半島北部にあった中国の植民地の
宋書の倭王武477年は雄略?       楽浪郡(紀元前108年 - 313年)との交流があった
507から532は継体          と考えられている(南部経由だろうが)
539から571は欽明          ただし四隅突出型墳丘墓は古墳時代に入り消失 国譲?
(仏教伝来と任那滅亡)          4世紀末に応神が実在?  国内製鉄が始まる
593から628は推古         (仁徳の河内:海洋民族の吉備物部が貢献)朝鮮半島への進出  
(甥が聖徳太子)             5世紀末に雄略が実在?(瀬戸内海の啓開)  
645から654は孝徳          527年、磐井の乱は継体が鎮圧
(蘇我を大化改新後も重用、難波で憤死)  (河内から奈良:近江・福井の渡来系の蘇我が貢献)
                     562年、任那滅亡
                     6世紀後半に欽明・敏達・用明・崇峻が実在 
                     ただし用明の子である聖徳太子、その孫の山背大兄王は仮称?
 
飛鳥時代 592-710      推古天皇より始まる    608-918:大唐帝国
奈良時代 710-797      645年、大化の改新   その後混乱を経て970に北宋
平安時代 794-1185     663年、白村江の敗北  1112に金に押され南宋
                  672年、壬申の乱    1279に元
                  703年に持統天皇崩御
                                     

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