2017年4月3日月曜日

アンカレ・戦争と平和 附;復活における裁判制度


アンナ・カレーニナ
主な舞台は1870年代のロシア。政府高官カレーニンの妻である美貌のアンナは、兄夫婦の諍いを仲裁するためにやってきたモスクワで若い貴族の将校ヴロンスキーと出逢い、互いに惹かれ合う。地方の純朴な地主リョーヴィンはアンナの兄嫁の妹キティに求婚するが、ヴロンスキーとの結婚を期待するキティに断られてしまう。失意のリョーヴィンは領地に戻り、農地の経営改善に熱心に取り組む。ところがキティはヴロンスキーに無視され、それがきっかけで病を患ってしまう。アンナは夫と幼い一人息子の待つペテルブルクへ帰京するが、ヴロンスキーはアンナを追う。二人の関係は急速に深まるが、それを知ったカレーニンは世間体を気にして離婚に応じない。アンナはヴロンスキーの子供を出産後、重態となる。そこへ駆けつけたカレーニンは寛大な態度でアンナを許す。その一連を目の当たりにしたヴロンスキーはアンナを失うことに絶望しピストル自殺を図るが、未遂に終わる。その後ヴロンスキーは退役して、回復したアンナを連れて外国に出奔する。リョーヴィンは病気の癒えたキティと結婚し、領地の農村で新婚生活を始める。そして兄を看取ったことをきっかけに人生の意義に悩むようになる。帰国したアンナとヴロンスキーの二人は、不品行が知れ渡り社交界から締め出され、やむなくヴロンスキーの領地に居を定めることになる。離婚の話は、狂信的な知人のカレーニンへの入れ知恵や、一人息子を奪われるというアンナの恐れなどの事情でなかなか進まない。自らの境遇に不満なアンナと領地の経営に熱中するようになったヴロンスキーとは次第に気持ちがすれ違い始め、アンナはヴロンスキーの愛情が他の女性に移ったのではないかとまで疑うようになる。ついに絶望したアンナは列車に身を投げる。生きる目的を見失ったヴロンスキーは、私費を投じて義勇軍を編成し、トルコとの戦争(露土戦争)に赴く。一方、リョーヴィンは、キティとの間に子供をもうけ、領地で幸せな家庭を築き、人は他人や神のために生きるべきものだという思いに至る。
主題:不倫という神の掟をやぶる行為に走ったアンナは不幸な結末を迎えざるをえない。しかし、自身の気持ちに誠実に生きたアンナを同じ罪人である人間が裁くことはできない。虚飾に満ちた都会の貴族社会で死に追いやられたアンナと、農村で実直に生きて信仰に目覚め、幸せをつかんだリョーヴィンとが対比され、人の生きるべき道が示されている[2][3][4][5][6]
戦争と平和

概要
19世紀前半のナポレオンによるロシア遠征とその失敗、アウステルリッツの戦いやボロディノの戦いなどの歴史的背景を精緻に描写しながら、1805年から1813年にかけてあるロシア貴族の3つの一族の興亡をピエール・ベズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを点描しながら綴った群像小説である。また登場人物の一人「ピエール・ベズーホフ」が、著者の分身と見られ、彼の没落していくロシア貴族から、大地の上で強く生き続けるロシアの農民の生き様への傾倒へと続く魂の遍歴は、著者の心の動きの反映とも言われる。なお、執筆された当時のロシアでは、それまで一般的だった古ロシア語に代わり、新たに整備された現代的なロシア語文法が浸透していたが、トルストイを含む上流階級は教養として慣れ親しんだフランス語を日常的に使用しており、作中でも貴族達の会話にフランス語を交えたり、名前を「ピエール」とフランス風に呼ぶ(ロシア風ならピョートル)という、当時のロシア貴族に対するフランス文化の影響も描写している。登場人物は559人!

主要人物
年齢は1805年時点。
ピエール(ピョートル・キリーロヴィチ・ベズウーホフ)伯爵
本編の主人公。莫大な財産を持つキーリル・ウラジーミロヴィチ・ベズウーホフ伯爵の私生児の一人。父に愛され、その財産を継ぐ。フランス帰り。力自慢の偉丈夫。意志が弱く放蕩に耽りやすく、肥満している。物語中盤でフリーメーソンに加入。

アンドレイ・ニコラーエヴィチ・ボルコンスキィ公爵
27歳。青年士官。ピエールの親友。優秀な実務家。アウステルリッツ以降の対ナポレオン戦争に従軍。父ニコライ老公爵の友人クトゥーゾフ将軍の副官などを務め、オーストリア王宮への使者の任にも就いた。

マリヤ・ニコラーエヴナ・ボルコンスカヤ
アンドレイの妹。兄と違い、信心深い。決して美人とはいえないが、美しい瞳を持つ女性。父と共に生活している。

ニコライ・イリーイチ・ロストフ伯爵
イリヤ・ロストフ伯爵の長男。青年士官としてアウステルリッツに従軍する。軟弱な青年だったが、軍に馴染み、成長していく。浪費癖がある。

ナターシャ・ロストワ
12歳。ニコライ・ロストフの妹。無邪気で天真爛漫な少女。多くの男性を惹き付ける。

ペーチャ(ピョートル・イリーイチ・ロストフ)
8歳。ニコライの末の弟。皇帝に心酔し、1812年ごろ、軍に仕官する。

ソーニャ
14歳。ニコライの又従兄妹。ロストフ伯爵家の居候。幼少の頃からニコライを一途に愛する。

ボリス
ニコライ兄妹の幼馴染。上昇志向が強い。様々な人脈を駆使して出世を遂げていく。
幼い頃はナターシャに恋心を抱いていた。

ワシーリィ・ドミートリチ・デニーソフ
ロシア軍の士官。歴戦の勇士。アウステルリッツ以来のニコライの戦友。
ナターシャに求婚するも受け入れられず。

アナトーリ・ワシーリエヴィチ・クラーギン公爵
ピエールの親戚にして放蕩仲間。数多の浮名を流す。享楽的。

エレン・ワシーリエヴナ・クラーギナ
アナトーリの姉。絶世の美女にして社交界の花形。弟同様に享楽的な人物で、他者を堕落させる力を有する。財産を欲し、ピエールの妻となる。結婚後も、その放蕩生活は変わらない。

ドーロホフ
アナトーリの友人にして放蕩仲間。アナトーリを金蔓として利用している節がある。対フランス戦にもたびたび参加。活躍は多いが、その気性がたたり、昇格と降格を繰り返している。

ミハイル・イラリオーノヴィチ・クトゥーゾフ
ロシア軍の元帥。該当項目参照。作中での評価は高い。「神の意思を見きわめながら、
それに自分の個人の意思を従わせる、数少ない、常に孤独な人間」。

ナポレオン・ボナパルト
フランス皇帝。該当項目参照。優秀な人物と描かれてはいるが、それ以上に「
巨大な歯車を前にした英雄の無力」をあらわす好例としての扱いのほうが強い。

アレクサンドル1世
ロシア皇帝。該当項目参照。作中に度々登場するがその描かれ方は没人格的。

各章の概要
第一巻
第一部
1805年。ベズウーホフ老伯爵の遺産を巡る争い。
第二部
アンドレイ及びニコライ・ロストフ、オーストリア戦線に参加。
第三部
ピエール、エレンと結婚。アウステルリッツの三帝会戦、アンドレイ負傷・フランス軍の捕虜に。
第二巻
1806年から1811年まで。戦場の描写は少なく、詩的な場面が多い。
第一部:1806年:ニコライの休暇
ニコライ、休暇で戦友デニーソフと共に帰郷。
ピエール、エレンの不義を疑い、ドーロホフと決闘、エレンと別居。
アンドレイ、捕虜生活から領地に帰還するも、妻リーザは出産後に死亡。
デニーソフ、ナターシャに求婚するも拒絶される。
ドーロホフ、ソーニャに求婚・拒絶される。その意趣返しにニコライをカード賭博で43000ルーブリ負かす。
第二部
1807年。ピエール、ヨーシフ・アレクセーエヴィチ・バズデーエフに誘われ、フリーメーソンの結社に入会する。
ピエール、アンドレイをフリーメーソンに誘うも、断られる。
デニーソフ、隊の物資不足に悩み、友軍の補給物資を強奪。ニコライ、デニーソフ弁護の為に奔走するも果たせず。デニーソフ、負傷し、野戦病院に。
第三部
1809年8月、アンドレイ、禿山での隠棲を終え、ペテルブルクへ。スペランスキィと親交を持ち、軍規制定委員会・法律制定委員会の一員に。
1809年11月。ピエール、エレンと同居再開。ボリス、人脈を得る為フリーメーソンに参加。ニコライの姉ヴェーラ、ベルグと結婚。
アンドレイ、ナターシャと婚約。父は結婚に反対し、一年間アンドレイが外国で過ごして互いの気持ちが変わらなければ許可する、と条件を出す。アンドレイ、外国へ。
第四部
1810年。ロストフ伯爵家の狩猟、仮装パーティなどの余暇を描く。ニコライ、ソーニャに告白するも親の反対に遭う。
第五部
マリヤ、老ボルコンスキィ公と仲違いする。
ナターシャ、エレンに感化され、社交界に足繁く通うようになる。アナトーリ、ナターシャを誘惑し、誘拐を図る。ナターシャ、独断でアンドレイとの婚約を破棄。ピエール、アナトーリを追放、ナターシャに告白。
第三巻
1812年、ナポレオン軍のロシア侵攻。
第一部
1812年5月。アンドレイ、戦場に復帰。ニコライ、勲功を上げ、軽騎兵隊長に昇進。ナターシャ、一連のスキャンダルの心労から病に。
第二部
1812年7月。スモレンスクが陥落し、ボルコンスキィ家領にも戦争が迫る。
1812年8月15日。老ボルコンスキィ死去。領民の暴動。ニコライの救援により、マリヤ、辛くも脱出する。
8月26日、ボロジノ会戦。ピエール、義勇軍を率いて参戦。アンドレイ負傷し、同じく負傷したアナトーリと再会する。アナトーリ死亡。
第三部
ロシア軍、モスクワ放棄。モスクワ、混乱に陥る。9月1日、ロストフ家疎開。フランス軍、モスクワ略奪、大火へ。
9月2日。ナターシャ、疎開中に負傷のため後方に送られるアンドレイと再会、赦される。
9月3日。ピエール、幼女を火災から救う。略奪兵の暴行を阻止しようと争い、フランス軍に逮捕される。
第四巻
1812年、ナポレオン軍のモスクワ放棄、撤退、壊走。
第一部
エレン、誤って服毒死。ロストフ伯夫人、ニコライとマリヤの結婚を望み、ソーニャにニコライへの想いを諦めさせる。
ピエール、見せしめの銃殺に立会い、絶望する。しかし同じく捕虜であるプラトン・カラターエフの人格に希望を見出す。
マリヤ、死に瀕した兄と再会。アンドレイ死亡。
第二部
10月6日、フランス軍、撤退開始。タルーチノの戦い。ロシア軍、反撃開始。
ピエール、捕虜生活の中に完全な心の安らぎと内的自由を得る。
第三部
デニーソフ及びドーロホフ、パルチザン部隊長としてフランス軍追撃。
仕官したペーチャ、デニーソフと再会、部隊に同行する。夜襲に参加するも戦死。その戦いでピエール救出される。
(救出前)ピエール、同じ捕虜カラターエフの中に「真の信仰」を見出し、精神的な革新を遂げるが、カラターエフは落伍、銃殺される。
第四部
マリヤ、アンドレイの死の悲しみから立ち直り、現実生活に回帰。
1812年12月末。ナターシャ、ペーチャの訃報により半狂乱をきたした母を看病する為、「生」に回帰。
1813年1月、マリヤ、ナターシャと親友に。ナターシャの気分転換のため、共にモスクワに向かう。
(時間前後)1812年11月5日から8日、クラースノエ付近の会戦。追撃するロシア軍の描写。ペレジナ会戦。
11月29日、クトゥーゾフ、ヴィルナ入城。12月12日、前日に到着したツァーリから勲一等ゲオルギィ勲章を授与されるも、次第に実権を奪われていき、その役目を終える。
解放されたピエール、オリョールで発病、三カ月寝込む。捕虜生活の内に真の「信仰」を得た彼は誰からも好かれる人間に変わる。エレンの遺した負債処理の為、モスクワへ。
1813年1月末、ピエール、モスクワ着。五日目の夕方、訪問したマリア宅でナターシャと再会。ナターシャ、アンドレイの死の様子を語り、心の整理を付け、笑顔を取り戻す。ピエール、ナターシャ、互いの愛を悟る。
エピローグ(第一部)
ピエール・ナターシャ夫妻、ニコライ・マリヤ夫妻のその後を描く。社交界の内外で人望を集めるピエール。ロストフ家の財政を何とか立て直したニコライ。魅力的な少女から善良なる母へと姿をかえたナターシャ。
エピローグ(第二部)
著者による総括。
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『復活』を読むために欠かせない時代背景
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帝政ロシアの陪審制度
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帝政ロシアの陪審制度はアレクサンドル二世の司法改革によって
できたものです。当時のロシア帝国は皇帝専制でしたが、陪審制
の存在と専制政治とは矛盾しないものでした。この関係について
は、質問とは直接関係ない問題なので割愛します。陪審制は専制
政治と矛盾しないものであり、それ故に地方で最も深刻な犯罪を
扱う刑事事件における陪審員の選定は、体制側によって恣意的
に行われました。陪審員は、その刑事裁判が行われる地方に住む
25歳以上の人間であり、かつ牢獄に収監されたことのない者から
構成される一覧表の中から、各地方行政府の長官がふさわしい人
間を選んでいました。ネフリュードフが陪審員になったのも、その
地方の行政長官によって陪審員にふさわしい人物として選ばれた
からです。体制側にとって好ましくない人物は陪審員には選ばれな
いので、当局から見て、ネフリュードフが体制に害とならない模範的
臣民と捉えられていたことを示しているでしょう。

現代では公民権と言えば市民的権利や政治的権利を総称したもの
を指します。しかし、19世紀末のロシアにはまだ憲法が存在しておら
ず、議会も無いため、現代における公民権に含まれるような政治的
権利などは一般に存在しませんでした。つまり、公民権という言葉を
使っていても、近代市民社会における公民権の内容を伴っていない
のです。
帝政ロシアで公民権が意識されたのはデカブリストの乱の時のことで、
この時に反乱に多くの貴族青年たちが加わっていたため、彼らの貴族
身分としての様々な権利を法的に停止する必要性が生じます。この時
から犯罪とのかかわりで公民権の剥奪が行われるようになったのです
が、事実上、近代市民社会における政治的権利も市民的権利も当時
のロシア帝国には存在せず、身分制社会における身分的権利だけし
か存在しなかったと言えます。従って公民権の剥奪と言っても、実際
には身分的権利の剥奪を指していました。カチューシャの場合、恐らく
町人身分に属するので、町人身分の権利が剥奪されたということでしょう。

諸外国においても,国民が刑事裁判に参加する制度を導入している国は多数あります。
国民が裁判に関与する形態等はそれぞれの国によって様々ですが,
おおむね陪審制と参審制に分けることができます

陪審制とは,基本的に,犯罪事実の認定(有罪かどうか)は陪審員のみが行い,
裁判官は法律問題(法解釈)と量刑を行う制度です。陪審員は,事件ごとに選任される
点に特色があります。陪審制は,アメリカやイギリスなどで採用されています。
参審制とは,基本的に,裁判官と参審員が一つの合議体を形成して,犯罪事実の認定や
量刑のほか法律問題についても判断を行う制度です。参審員は,任期制で選ばれる点に特色があります。
参審制は,ドイツ,フランス,イタリアなどで採用されています。
裁判員制度は,裁判員と裁判官が合議体を形成するという点では参審制と同様です。
ただし,裁判員は事実認定と量刑を行い,法律問題は裁判官のみで行う点で参審制とは異なります。
他方,裁判員が事件ごとに選任される点では陪審制と同じです。
このように,裁判員制度は,参審制・陪審制のいずれとも異なる日本独自の制度だと
言うことができます。

各制度の詳細一覧表
         裁判官関与 有罪無罪 量刑        任期        選任
陪審制度 陪審員のみ 判断する 判断しない 事件ごと 無作為
参審制度 裁判官と共同 判断する 判断する 任期制        団体等推薦等
裁判員制度 裁判官と共同 判断する 判断する 事件ごと 無作為

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