2016年9月28日水曜日

ドストエフスキーの3人の女性



ドストエフスキーの三つの恋

2015年7月28日 RBTH
作家フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821~1881)の恋は、彼の作品のそれに酷似しており、複雑怪奇で緊張と心理的葛藤に満ちている。彼が愛する女性に自分を捧げつくしたのも作品と同じだが、この不安な作家の魂に平和と調和をもたらしたのはたった一人だった。
初恋 ドストエフスキーの初恋は、ペトラシェフスキー事件への連座で懲役刑に処せられた後のことだ。ちなみに、19世紀の作家でこのような罰を受けたのは彼一人のみ。当時の彼は、4年間の自由剥奪と厳しい労役で苛まれて健康を損ねており、これほど、女性の温かみと心遣いに餓えていたことはなかった。
 ちょうどこんな時、幸か不幸か、彼の前に現れたのが、マリア・ドミートリエヴナ・イサーエワ(1824~1864)だった訳だが、二人の関係は相当な紆余曲折を辿った。マリアは当時結婚しており、夫は病弱で、息子もいた。が、ドストエフスキーはすっかり惚れ込み、じっと待ち、ついに待ちおおせたのである。マリアの夫が亡くなると、作家は、日々の糧にも事欠くありさまだったのに公然と求婚した。
マリア・イサーエワ=写真提供:ロシア通信
 ところが、この遅すぎた初恋は、作家に次々に難題を突きつけた。恋人は彼を試し始めたのだ。マリアは、どんな金持ちの年寄りと結婚したらいいかと“相談”する手紙を寄こし、彼を苦しめた。彼は、有名な賭博狂ではあったが、恋愛ゲームはやったことがなかったのである。
 それでも二人は結婚したが、作家はマリアにとって、夫というよりも“兄”のままで、ついに精神的にも肉体的にも調和することはなかった。
 20世紀最大のロシアの文学者の一人、マルク・スローニムは、自著『ドストエフスキーの三つの恋』の中でこう書いている。「ドストエフスキーが彼女を愛していたのは、彼女が呼び起こした感情のためであった。そして、彼が彼女に与えたすべてのため、彼女と関係あるすべてのため、要するに、彼女が彼にもたらした苦しみのためだった」
 マリアは長く結核を患った末、1864年に亡くなった。夫婦を結び付けていたのは、互いの苦しみであり、清澄な感情ではなかった。
 『虐げられた人びと』のヒロイン、ナターシャのモデルは彼女だ。ナターシャは、絶え難いほどに相手を苦しめつつも、無言のうちに愛しているのである…。
 若い女子学生アポリナリア・スースロワ(1839~1918)とドストエフスキーが出会ったのは、作家の朗読会の夕べにおいてで、彼は42歳、彼女は22歳だった。彼女は、マリアに無かったものを彼に与えた。文学趣味と情熱的な性愛を作家と共有した彼女は、大人しくも優しくもないどころか、彼を怯えさせると同時に誘惑するアマゾネスだった。
 ところが作家は、彼女の欲するものを与えることができなかった。彼はまだマリアと結婚していたので、二人の関係は隠さねばならなかったからだ。その結果、彼女はしばしば彼を“裏切り”始め、最大2年間の別離の期間を挟むこととなった。その後の彼女はもはや、何度でも彼のもとに帰る気のある、若い未経験な娘ではなくなっていた。彼女は彼に、あなたとは結婚しない、と冷然と告げた。
アポリナリア・スースロワ=wikipedia.org
 おそらく、アポリナリアほどドストエフスキーの心に痛みを与えた女性はあるまいが、他ならぬ彼女が彼の魂に永遠の刻印を押したことは否定し難い。「彼は、彼女の名前を聞くと、びくりと震えた。若いアンナ夫人にか隠れて、文通を続けていた。そして、自分の作品のなかで何度でも彼女を描くのだった。最期の日にいたるまで、彼女から受けた愛撫と打撃の思い出を心に秘めていた。彼は永遠に――心と肉体の深みにおいて――この魅惑的で残酷で不実で、そして悲劇的な恋人に忠実であった」。スローニムはこう書いている。
 アポリナリアがドストエフスキーの人生のあらゆる面に痕跡を残したのと同じく、事実上すべての作品に、この永遠の恋人の面影を見出すことができる。『罪と罰』の自己犠牲的なドゥーニャには、どこかアポリナリア的なところがあるし、情熱的で魅力的なナスターシャ・フィリッポウナ(『白痴』)にも、誇り高く神経質なリーザ(『悪霊』)にも、その面影の幾分かが分かち与えられているが、アポリナリアが完全にモデルになったヒロインはといえば、『賭博者』のポリーナだ。
  アンナ・グリゴーリエヴナ・スニートキナ(1846~1918)はもともとドストエフスキーが雇った速記者で、『賭博者』(1866)の執筆を助けた。作家は未来の妻より25歳年長であった。この共同作業は、彼らを夢中にさせ、期日が過ぎた時には、二人はもはや別々の生活など考えられなかった。こうして1867年、アンナは作家の妻となる。
 アンナ・スニートキナ=写真提供:ロシア通信
 それしても、『賭博者』という小説は作家にとって何だったのだろう?彼がヒロインとして選んだのは、一見してそれと分かるアポリナリアで、これを書いたのは、マリア夫人の死からまだ間もない頃。そして、それを口述筆記させた相手が未来の妻アンナ。
 初めのうち作家は、アンナとの結婚生活に、どちらかというと“実際上の必要”を感じていた。彼には生活の安定と堅固な足場が必須だったからだ。で最初、この結婚は、作家の以前の女達との関係を思わせるところもあったが、アンナは、他のどの女もなし得なかった一歩を踏み出す。家族の保護を買って出て、雰囲気を帰るために外国に行こうと言い出した。
 結婚1年後、娘が生まれ、作家は溺愛したが、間もなく、この幸福な家庭を大いなる不幸が見舞った。幼いソーニャが死んでしまったのだ。しかしその後、3人の子供が生まれた。

2016年9月7日水曜日

イーリアス

『イーリアス』(希: Iλι??, 羅: Ilias, 英: Iliad)は、ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、
最古期の古代ギリシア詩作品である。
目次
1 序説
2 構成
2.1 ムーサへの祈り
2.2 ポイボス・アポローンの銀弓
3 物語のあらすじ
3.1 アキレウスとアガメムノーンの確執
3.2 総攻撃の開始
3.3 パリスとメネラーオスの一騎打ち
3.4 パトロクロスの出陣
3.5 パトロクロスの死
3.6 アキレウスの出陣
3.7 ヘクトールとアキレウスの一騎打ち
3.8 ヘクトールの遺体引き渡しと葬儀
4 日本語訳書(原典全訳)
5 後世の作品における『イーリアス』の影響
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク

序説
ギリシア神話を題材とし、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、
イーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写する。ギリシアの叙事詩として最古のものながら、
最高のものとして考えられている。叙事詩環(叙事詩圏)を構成する八つの叙事詩のなかの一つである。
元々は口承によって伝えられてきたものである。『オデュッセイア』第八歌には、パイエーケス人たちが
オデュッセウスを歓迎するために開いた宴に、そのような楽人デーモドコスが登場する。
オデュッセウスはデーモドコスの歌うトロイア戦争の物語に涙を禁じえず、また、自身でトロイの
木馬のくだりをリクエストし、再び涙を流した
『イーリアス』の作者とされるホメーロス自身も、そのような楽人(あるいは吟遊詩人)だった。
ホメーロスによって『イーリアス』が作られたというのは、紀元前8世紀半ば頃のことと考えられている。
『イーリアス』はその後、紀元前6世紀後半のアテナイにおいて文字化され、紀元前2世紀にアレキサンドリアに
おいて、ほぼ今日の形にまとめられたとされる

ムーサへの祈り
ホメーロスの叙事詩は朗誦の開始において、「ムーサ(詩神)への祈り」の句が入っている。
それは、話を始める契機としての重要な宣言と共に、自然な形で詩のなかに織り込まれている。
『イーリアス』では、最初の行は次のようになっている。
μ?νιν ?ειδε θε? Πηλη??δεω ?χιλ?ο?
(ラテン文字転写:Menin aeide, thea, Pele-iadeo Achileos)
言葉の順番に意味を書くと、次のようになる。
怒りを 歌ってください 女神(ムーサ)よ ペーレウスの息子であるアキレウスの(怒りを)……
ホメーロスの劇的構成というのは、この最初の一行より始まっており、
なぜアキレウスが怒っているのかという聴衆の興味を引きつけた後、
できごとの次第を息も継がせぬ緊迫感で展開する。

ポイボス・アポローンの銀弓
先の戦いで、アカイア勢(ギリシア軍)はトロイエ側にささやかな勝利を収め、
戦利品を手に入れた。しかし、その戦利品のなかには、光明神ポイボス・アポローンの
神官であるクリューセースの娘クリューセーイスもまた含まれていた。戦闘の混乱のなかで
アカイア勢に捕らわれた娘を返して貰おうと、神官クリューセースはアカイア軍の陣地を
貢物を携え訪れるが、傲ったアカイア勢はクリューセースを侮辱する。
目的を果たせず、海辺を一人戻るクリューセースは、自らが仕える神アポローンに祈り、
「アカイア軍に報いを」と求める。ムーサの言葉は劇的に転回し、クリューセースがこう祈るや
、オリュンポスの高みより、ポイボス・アポローンが銀弓を手に空を飛び、
アカイア軍の陣地の上空に至るや、数知れぬ矢を射かけ、アカイア軍陣地は、神の送る疫病に
悲鳴をあげて倒れる兵士たちの修羅場と変ずる。
しかし、雄壮なアポローンの活躍を活写した後、なお、なぜアキレウスは怒っているのか、
その理由は不明である。こうして、詩は更に続いて行く。

物語のあらすじ
翻って、このようにアキレウスが怒りを抱いたというのは、一体、戦いのどのような時点であったのか。
それは、パリス(イーリオス王プリアモスの王子)に奪われたヘレネーを取り戻すべく、
ヘレネーの夫メネラーオスをはじめとするアカイア族(ギリシア勢)がイーリオスに攻め寄せ
てから十年の歳月が流れたときのことであった。
ギリシア勢はメネラーオスの兄でミュケーナイ王のアガメムノーンの指揮の下で戦い、
イーリオス勢はプリアモスの長子ヘクトールの指揮の下に戦っていた。アキレウスは、
友人パトロクロスと共に、ミュルミドーン人たちを率いて戦いに参加していた。
このような背景のなかで、神官クリューセースの神アポローンへの祈りの事件が起こったのである。

アキレウスとアガメムノーンの確執
アポローンの矢による疫病の発生から十日目、アキレウスの発議により集会が持たれた。
カルカースによって、アポローンの怒りを鎮める必要があるため、献策がなされた。それは、身の代なしに
娘クリューセーイスを神官クリュセースに返すというものだった。クリューセーイスはアカイア勢の
総帥アガメムノーンの戦利品となっていた。アガメムノーンはやむを得ず娘を解放することに同意する。
アガメムノーンは娘を失う代償を諸将に求める。それに対し、アキレウスは戦利品を分配しなおすべきで
ないことを主張し、「わたしには戦う義務はない。しかしあなたがた兄弟のために戦闘に参加している」
と述べる。アガメムノーンは立腹し、軽率にも「われらのために戦う戦士は山ほどいる。
そなたが義務で戦うというのなら、われらは汝なしでも戦うことができる」と応酬した。
そして、クリューセーイスの代償として、アキレウスの戦利品であるブリーセーイスを自分のものにする。
アキレウスはアガメムノーンの仕打ちに怒り、母テティスに祈り、ゼウスがイーリオス勢の味方をする
ことでギリシア勢を追い詰めさせることを願う。テティスが請け合い、ゼウスに頼み込むと、
ゼウスもこの願いを受け入れた。ゼウスの妻ヘーラーは、ゼウスがテティスの願い通りイーリオス勢の
味方をするつもりではないかと気付き、ゼウスを難詰したが、息子ヘーパイストスのとりなしで、
とりあえず怒りを納めた。
アキレウスはその日以降、集会にも出ず、戦闘にも参加しなくなった。こうしてアキレウスの怒りから
始まり、『イーリアス』は劇的な展開において物語を繰り広げて行く。

総攻撃の開始
ゼウスは、テティスの願いをどのように叶えるのがよいかを考え、ギリシア勢の総大将アガメムノーンを
夢でまどわすことにした。アガメムノーンは、ネストールが「オリュムポスの神々は皆ギリシア勢の味方を
することになったから、全軍で攻め寄せればイーリオスを攻め落とせる」と説くところを夢に見た。
目が覚めたアガメムノーンは、すぐにでもイーリオスを陥落させることができると思い込み、総攻撃を決意する。
しかしゼウスは、ギリシア勢を劣勢に追い込み、アガメムノーンに、アキレウスを怒らせたことを後悔させることが
目的だったのである。
ギリシア勢が美々しく隊伍を整えると、イーリオス勢も攻撃準備を完了した。
両軍は、まさに激突しようとしていた。

パリスとメネラーオスの一騎打ち
このときパリスは軍勢の先頭に立ち、「誰でもいいから俺と勝負しろ」と言った。メネラーオスは、
仇敵の姿を見るや、喜び勇んで飛び出してきた。しかしパリスはメネラーオスを見ると怖気づき、
逃げ出してしまった。これを見たヘクトールは、イーリオスの災厄の種であるパリスの不甲斐なさをなじり、
「貴様のような格好ばかりの奴は、さっさとメネラーオスに殺されてしまえばよかったのだ」と責めた。
するとパリスは殊勝にも「私とメネラーオスで一騎打ちをし、勝ったほうがヘレネーと奪った財宝を
取ることにしたい」と申し出た。ヘクトールは喜び、ギリシア勢にこの話を申し込んだ。
アガメムノーンもこの話を呑み、両軍の戦士が武装をはずして見守る中、両者が一騎打ちを行うことになった。
対峙するパリスとメネラーオス。双方が槍を投げるが、両者共にこれを避けた。
次にメネラーオスが剣を抜いて切りかかると、メネラーオスの剣はパリスの兜にあたって砕けた。
パリスがくらくらしているところを、メネラーオスが兜を掴んで自軍に引いていこうとした。
するとアプロディーテーが兜の紐を切ってパリスの窮状を救った。メネラーオスの手には兜だけが残った。
そしてなおも追いすがるメネラーオスから守るために、濃い霧でパリスを隠し、イーリオスに退却させた。
メネラーオスは姿を隠したパリスを探すが、見つけることができない。
そこでアガメムノーンはメネラーオスが勝ったとして、ヘレネーと財宝の引渡しをイーリオス勢に申し入れた。
ヘクトールは目の前の出来事に青ざめたものの、誓い通りに戦いの結果を尊重しようとした。
しかし、ゼウスはトロイアの運命に基づき、アテーナーに命じてトロイアの武将パンダロスに甘言をささやいた。
それは誓いを破り、ギリシア(メネラーオス)への仇討ちをせよ、というささやきであった。
彼が矢を放った結果、メネラーオスは傷を負い、それを契機に再び戦いが始まった。

パトロクロスの出陣
アキレウスなしでも優勢に立っていたギリシア勢も、名だたる英雄たちが傷ついたことをきっかけに
して総崩れとなり、陣地の中にまで攻め込まれる。これを見たパトロクロスは、出陣してギリシア勢を
助けてくれるようアキレウスに頼んだが、アキレウスは首を縦に振らない。そこでパトロクロスは
アキレウスの鎧を借り、ミュルミドーン人たちを率いて出陣する。

パトロクロスの死
アキレウスの鎧を着たパトロクロスの活躍により、ギリシア勢はイーリオス勢を押し返す。
しかし、パトロクロスはイーリオスの王プリアモスの息子で、事実上の総大将であるヘクトールに討たれ、
アキレウスの鎧も奪われてしまう。

アキレウスの出陣
パトロクロスの死をアキレウスは深く嘆き、ヘクトールへの復讐のために出陣することを決心する。
アキレウスの母テティスはアキレウスのために新しい鎧を用意し、アキレウスに授ける。
出陣したアキレウスは、イーリオスの名だたる勇士たちを葬り去る。形勢不利と見てイーリオス勢が
城内に逃げ去る中、門前に一人、ヘクトールが待ち構える。

ヘクトールとアキレウスの一騎打ち
ギリシア勢とイーリオス勢が見守る中、アキレウスとヘクトールの一騎打ちが始まる。
アキレウスはヘクトールを追いまわし、ヘクトールは逃げ回ってイーリオスの周りを三度回る。
しかし、ついにヘクトールはアキレウスに討たれる。アキレウスはヘクトールの鎧を剥ぎ、
戦車の後ろにつなげて引きずりまわす。復讐を遂げて満足したアキレウスは、さまざまな賞品を
賭けてパトロクロスの霊をなぐさめるための競技会を開く。

ヘクトールの遺体引き渡しと葬儀
競技会が終わった後も、アキレウスはヘクトールの遺体を引きずりまわすことをやめない。
ヘクトールの父プリアモスはこれを悲しみ、深夜アキレウスのもとを訪れ、息子の遺体を
返してくれるように頼む。アキレウスはプリアモスをいたわり、ヘクトールの遺体を返す。
ヘクトールの葬儀の記述をもって、『イーリアス』は終わる。

2016年9月1日木曜日

オデュッセウス

オデュッセウス



表 話 編 歴
オデュッセウス(古代ギリシャ語: ?δυσσε??,Λαερτι?δη?、ラテン文字転写: Odysseus)は、
ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の
主人公でもある。ラテン語でUlixes(ウリクセス)あるいはUlysseus (ウリュッセウス)ともいい、
これが英語のUlysses(ユリシーズ)の原型になっている。彼はトロイ攻めに参加した他の英雄たちが
腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」
「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として書かれる。
イタケー王ラーエルテースとアンティクレイアの子で、妻はペーネロペー、息子はテーレマコスである。シーシュポスが父とする説もある。
トロイア戦争ではパラメーデースの頓智でアカイア勢に加勢させられ、アキレウスの死後、その武具を大アイアースと争って勝利した。また木馬の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。
オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅に因み、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。彼が難破して、裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者もある。
目次  [非表示]
1 トロイア戦争以前
1.1 トロイの木馬
2 トロイア戦争以後
2.1 ロートパゴス族
2.2 キュクロープスの島
2.3 アイオロスの島
2.4 ライストリュゴネス人
2.5 魔女キルケーの住む島
2.6 テイレシアスの亡霊
2.7 セイレーンの歌
2.8 スキュラの海峡
2.9 ヘリオスの怒り
2.10 カリュプソーの島
2.11 ポセイドーンの怒り
2.12 ナウシカアとの出会い
2.13 帰国
3 系図
4 原典
5 登場する作品

トロイア戦争以前[編集]
ヘレネーがパリスに連れ去られたことで、メネラオスは、かつての求婚者たちに誓いに基づき、彼女を
奪還するのに協力するよう求めた。オデュッセウスは、戦への参加を厭い、狂気を装った。
神託が予言するには、もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になるということだったからである。
オデュッセウスは、ロバと雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔いた。
パラメーデースは、アガメムノンの要請により、オデュッセウスの狂気を明かそうとして、
鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子テーレマコスを置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので、
狂気の扮装は暴露された。それゆえ、オデュッセウスは、故郷から引き離される原因となった
パラメーデースを戦争中も憎んだ。
オデュッセウスと他のアガメムノンの使節は、スキュロスに赴き、アキレウスを仲間に加えようと望んだ。
というのも、彼を欠いては、トロイアは陥落しないと予言されていたからである。
しかし、アキレウスの母テティスは、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていた。
なぜなら、神託によると、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る
代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからである。
 しかし、オデュッセウスは、次のような方法を使って、前に立つ女性たちの誰がアキレウスなのかを
見出すことに成功した。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったものの、アキレウスだけ武器に
興味を示したのである。さらに、オデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を
握りしめて戦士としての本来の性格を見せるのを鼓舞した。アキレウスの扮装もまた暴露されたので、
アガメムノンらのアカイア勢に参加することになった。

トロイの木馬
トロイの木馬を立案し、これによって10年間続いたトロイア戦争に終止符を打った。
トロイの木馬には、ネオプトレモス、メネラーオス、オデュッセウス、ディオメーデース、
ピロクテーテース、小アイアースなどの猛将たちが乗り込んだ。木馬の準備が完了すると、
アカイア軍は、陣営を焼き払って撤退を装い、敵を欺くためにシノーンだけを残して、
近くのテネドス島へと待機した。シノーンはトロイア人に捕まり、拷問にかけられるが
「ギリシア人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。そして、
なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシア人が
負けると予言者カルカースに予言されたためである」と説明してトロイア人を欺き通し、
木馬を戦利品として城内に運び込むように誘導した。この計画は、木馬を怪しんだラーオコーンと
カッサンドラーによって見破られそうになるが、アカイア勢に味方するポセイドーンが海蛇を
送り込んでラーオコーンとその息子たちを殺したため、神罰を恐れて木馬を破壊しようとする者はいなくなった。
城門は、木馬を通すには狭かったので、一部を破壊して通し、アテーナーの神殿に奉納した。
その後、トロイア人は、市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけた。
守衛さえも手薄になっていた。市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきて、
計画通り松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れた。
その後、ギリシア勢は、イーリオス市内で暴れ回った。酔って眠りこけていたトロイア人たちは、
反撃することができず、アイネイアースなどの例外を除いて討たれてしまった。
トロイアの王プリアモスもネオプトレモスに殺され、ここにトロイアは滅亡した。

トロイア戦争以後
トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは故国イタケーを目指して航海を開始したが、
トロイア戦争よりも長く辛い旅路が彼を待ち受けていた。本来彼は北に航路を取るべきだったが、
激しい嵐に見舞われて遥か南のリビアの方へと流されてしまった。これが苦難の始まりであり、
『オデュッセイア』で語られるところである。

ロートパゴス族
リュビアーの西部に住んでいたロートパゴス族は、ロートスの木というナツメに似た木の果実を
食べて生活していた。漂着した土地を探索していたオデュッセウスの部下たちはロートパゴス族と遭遇し
、彼らからロートスの果実(一説には花)をもらって食した。すると、ロートスがあまりに美味だったので、
それを食べた部下はみなオデュッセウスの命令も望郷の念も忘れてしまい、この土地に住みたいと
思うようになった。ロートスの果実には食べた者を夢の世界に誘い、眠ること以外何もしたくなくなる
という効力があった。このためオデュッセウスは嫌がる部下たちを無理やり船まで引きずって行き、
他の部下がロートスを食べないうちに出航した。

キュクロープスの島
オデュッセウス一行が1つ目の巨人キュクロープスたちの住む島に来た時、彼らはキュクロープス
たちによって洞窟に閉じ込められた。部下たちが2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは
持っていたワインをキュクロープスの1人ポリュペーモスに飲ませて機嫌を取った。これに気を
よくしたポリュペーモスは、オデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」
(「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュペーモスは「おまえを最後に食べてやろう」と言った。
ポリュペーモスが酔い潰れて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力してポリュペーモスの
眼を潰した。ポリュペーモスは大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間のキュクロープスたちが
集まってきたが、誰にやられたと聞かれてポリュペーモスが「ウーティス(誰でもない)」と
答えるばかりであったため、キュクロープスたちは皆帰ってしまった。
オデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れた。
この時、興奮したオデュッセウスが本当の名を明かしてキュクロープスを嘲笑したため、
ポリュペーモスはオデュッセウスに罰を与えるよう父ポセイドーンに祈り、
以後ポセイドーンはオデュッセウスの帰還を何度も妨害することになった。
ポリュペーモスがオデュッセウスによって眼を潰されることは、エウリュモスの子テーレモスに
よって予言されていたという。

アイオロスの島
ポセイドーンによって嵐を送り込まれ、オデュッセウスは風の神アイオロスの島である
アイオリア島に漂着した。アイオロスは彼を歓待し、無事に帰還できるように西風ゼピュロスを
詰めた革袋を与えた。航海の邪魔になる荒ぶる逆風たちは別の革袋に封じ込めてくれた。
西風のおかげでオデュッセウスは順調に航海することができたが、部下が逆風を封じ込めた革袋
を空けてしまい、再びアイオリア島に戻ってしまった。今度はアイオロスは
「神々の怒りを受けている」とし、オデュッセウスを冷酷に追い返してしまった。

ライストリュゴネス人
風の力を失ったので、オデュッセウス一行は自ら漕いで進まねばならなかった。
部下たちは疲れ切り、休ませようと近くの島に寄港することにした。そこは入り江がとても狭く、
入ることも出ることも容易ではなかった。部下たちの船は入り江の内側に繋いだが、
オデュッセウスの船は入り江の外側に繋いだ。この島は夜が極端に短く、更に巨大で
腕力もあるライストリュゴネス人が住んでいた。この巨人は難破した船や寄港した船の船員たちを
食べる恐ろしい怪物であった。ライストリュゴネス人は大岩を投げ付けて船を壊し、
部下たちを次々と丸呑みにしていった。残った船が出航して逃げようにも入り江が狭くて
なかなか抜け出せず、もたもたしている内に大岩を当てられて大破してしまった。
この島から逃げ切ることができたのは入り江の外側に繋いでいたオデュッセウスの船だけであり、
ライストリュゴネス人によって多くの部下を失った。

魔女キルケーの住む島
多くの部下を失ったオデュッセウスは、イタリア西海岸にあるアイアイエー島へと立ち寄った。
この島には魔女キルケーの館があり、強力な魔力を誇る彼女が支配していた。
キルケーは妖艶な美女であり、美しい声で男を館に招き入れては、その魔法で動物に変身させていた。
偵察に出掛けたオデュッセウスの部下も例外ではなく、オデュッセウスは部下の救出に向かわねばならなかった。
その途中でヘルメスから魔法を無効化する薬(モーリュと呼ばれ、花は乳白色、根は漆黒の薬草で、
人間には掘り当てることが難しい魔法の薬草であった)を授かり、それを飲んでキルケーの館へと臨んだ。
キルケーはキュケオンという飲み物と恐るべき薬を調合してオデュッセウスに差し出し、
彼を動物へと変貌させようとしたが、モーリュの効力により魔法は全て無効化され、
動物へと変身することはなかった。魔法の効かないオデュッセウスに驚き、好意を抱いたキルケーは、
動物に変じていた部下たちを元の姿に戻し、侍女たちに食事や酒を用意させて心から歓待した。
疲れ切っていたオデュッセウス一行もそれを受け入れ、更にオデュッセウスとキルケーは
互いに恋に落ち、約一年の間この島に留まることとなった。キルケーとの間に子どもももうけた。
 一年後、故国イタケへの思いが再び起こり、オデュッセウス一行は旅立つことを決意した。
キルケーは悲しんだが、強い思いを持つ彼らを送り出すことにした。
その際、「冥界にいるテイレシアスという預言者の亡霊と話すように」と助言した。
また、冥界へと行く方法も伝授した。

テイレシアスの亡霊
キルケーのおかげで冥界へと足を踏み入れたオデュッセウスは、冥界の王ハーデースの館の前で儀式を行い、
預言者テイレシアスを召喚した。テイレシアスは、オデュッセウス一行の旅がまだ苦難の連続であること、
しかし、それを耐え抜けば必ず故国へ帰れることを教えてくれた。オデュッセウスは更に、
母の霊に妻子の消息を訊ねたり、アキレウスやアガメムノンの霊と出会って幾多の話を聞いたりした。
その後、冥界から現世へと戻り、再びアイアイエー島へと帰還した。キルケーは戻った彼に対しセイレーンに
気を付けるように忠告し、オデュッセウスはそれを聞き入れてアイアイエー島から出発した。

セイレーンの歌
セイレーンは美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難・難破させる怪鳥であった。
セイレーンのいる海域を通る際、オデュッセウスはキルケーの忠告通りに船員には蝋で耳栓をさせ、
自分の体をマストに縛り付けた。1人だけセイレーンの歌が聞こえるオデュッセウスが暴れ出すと、
歌に惑わされていると判断して船を進め、オデュッセウスが落ち着くともう安全であると判断した
(一説には、オデュッセウスは単に歌が聞きたかっただけとも言われる)。歌を聞いて惑わせなかった
人間はいないことを自慢に思っていた彼女たちは、オデュッセウスを引き込めなかったことで
プライドが傷付き、海に身を投げた。

スキュラの海峡
セイレーンのいる海域を乗り越えたのもつかの間、次の航路の先には、渦潮を起こして船を沈没させる
カリュブディスの潜む海峡か、6本の首で6人の船員を喰らうスキュラの棲息する海峡か、
どちらかを選ばねばならなかった。キルケーの助言では、スキュラを選ぶべきである、ということであった。
理由としては、カリュブディスによって船が沈没させられたら全滅してしまうが、
スキュラなら6人が死ぬだけだからだ。キルケーの助言通りオデュッセウスはスキュラの海峡を選び、
海から現れた6本の狂犬の首によって6人の部下たちが喰われることになった。
この間、オデュッセウスは恐怖でただ見ていることしかできなかった。

ヘリオスの怒
スキュラの海峡を乗り切ったオデュッセウス一行は、イタリア南岸にあるトリナキエ島に辿り着いた。
この島では太陽神ヘリオスが家畜を飼育しており、テイレシアスからも「トリナキエ島はあまりにも
危険であるから立ち寄るべきではない。立ち寄ってしまっても、決して太陽神の家畜には手を出すな」
と忠告されていた。しかし、部下があまりにも疲れ切っていたので、仕方が無く休息の為に上陸する
ことになってしまった。この時、嵐によって一ヶ月も出航できなくなってしまい、食料が尽きてしまった。
空腹に耐えかねた部下の一人がヘリオスの家畜に手を出してしまい、立派な牛を殺して食べてしまった。
これに怒り狂ったヘリオスは、神々の王ゼウスに船を難破させるように頼んだ。ゼウスは嵐を呼び、
やっと出航できたオデュッセウスの頑強な船を雷霆によって粉砕した。船は裂け、船員たちは
海に投げ出された。オデュッセウスは大波に流されながらも、岩にしがみついた。
すると、渦潮によって獲物を喰らう怪物カリュブディスによって船の残骸が丸呑みされるのを目撃した。
カリュブディスは船の竜骨を吐き出し、オデュッセウスはそれにしがみついて、
九日間も海を漂流する運命になった。部下は全員死亡した。

カリュプソーの島
漂流して十日目に、海の女神カリュプソーの住まう島にオデュッセウスは流れ着いた。
そこは故郷からは途方も無く遠い場所だった。カリュプソーはオデュッセウスに一目惚れし、
彼に愛情を注ぎ、七年の間オデュッセウスと共に暮らした。カリュプソーと愛を育みながらも、
オデュッセウスは故郷への思いを捨てきれず、毎日涙を流す日々であった。
このことを哀れに思ったアテーナーは、オデュッセウスを帰郷させるべく行動を開始した。
カリュプソーの元を訪れ、オデュッセウスをイタケーへと帰すように促した。
オデュッセウスのことを愛していたカリュプソーは悲しむが、オリュンポスに住まう神々の意志
ならばとしぶしぶ同意し、オデュッセウスの船出を見送った。

ポセイドーンの怒り
ポセイドーンは、海の女神とアテーナーの支援を受けて順調に故郷へと船を進める
オデュッセウスを視認すると、怒りで胸を焦がした。息子であるポリュペーモスの眼を
潰された怒りが収まっていなかったポセイドーンは、三叉の矛を海に突き刺し、嵐を巻き
起こしてオデュッセウスの船を破壊した。大波に呑み込まれたオデュッセウスは死を覚悟するが、
海の女神レウコテアーがこれを哀れみ、着けたものは決して溺死することのない魔法の
スカーフを彼に授けた。オデュッセウスはそれを着け、海中に潜ってポセイドーンの怒りをやり過ごした。
ポセイドーンが去った後、アテーナーが風を吹かし、海上に漂うオデュッセウスをパイエケス人の国へと運んでいった。

オデュッセウスとナウシカア
オデュッセウスは浜辺へと打ち上げられ、そこでパイエケス人の王女であるナウシカアと出会った。
彼女はオデュッセウスをパイエケス人の王宮へと招き入れた。アテーナーの手引きもあって、
パイエケス人の王はオデュッセウスに帰郷のための船を提供することを約束すると、
競技会や酒宴を開いた。そこで吟遊詩人がトロイア戦争の栄光の物語を語り、
オデュッセウスは思わず涙を流してしまう。オデュッセウスは自らの名や身分を明かし、
今までの苦難や数々の冒険譚を語り始めるのであった。

帰国
パイエケス人のおかげでオデュッセウスは故郷へと帰国することができた。
故国イタケーでは、妻ペーネロペーに多くの男たちが言い寄り、その求婚者たちは
オデュッセウスをもはや亡き者として扱い、彼の領地をさんざんに荒していた。
オデュッセウスはすぐに正体を明かすことをせず、アテーナーの魔法でみすぼらしい老人に変身すると、
好き放題に暴れていた求婚者たちを懲らしめる方法を考えた。ペーネロペーは夫の留守の間、
なんとか貞操を守ってきたが、それももう限界だと思い、「オデュッセウスの強弓を使って
12の斧の穴を一気に射抜けた者に嫁ぐ」と皆に知らせた。老人に変身していたオデュッセウスは
これを利用して求婚者たちを罰しようと考えた。 求婚者たちは矢を射ろうとするが、
あまりにも強い弓だったため、弦を張ることすらできなかった。しかし、老人に変身した
オデュッセウスは弓に弦を華麗に張ってみせ、矢を射て12の斧の穴を一気に貫通させた。
そこで正体を現したオデュッセウスは、その弓矢で求婚者たちを皆殺しにした。
求婚者たちも武装して対抗しようとしたが、歯が立たなかった。こうして、求婚者たちは死に、
その魂はヘルメスに導かれて冥界へと下って行った。 ペーネロペーは、最初のうちはオデュッセウスの
ことを本物かどうか疑っていたが、彼がオデュッセウスしか知りえないことを発言すると、
本物だと安心して泣き崩れた。こうして、二人は再会することができたのである。