2017年9月2日土曜日

細雪(梗概)

細雪』(ささめゆき)は、谷崎潤一郎長編小説1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)までの大阪の旧家を舞台に、4姉妹の日常生活の悲喜こもごもを綴った作品[1]阪神間モダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られ、全編の会話が船場言葉で書かれている。上流の大阪人の生活を描き絢爛でありながら、それゆえに第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びのを内包し挽歌的切なさをも醸しだしている[2]。舞台は阪神間だが、本質的には大阪(船場)文化の崩壊過程を描いている。
谷崎潤一郎の代表作であり、三島由紀夫をはじめ、多くの作家たちにより文芸評論・随想等で取り上げられ高く評価され、読書アンケートや名著選でも必ず近代文学の代表作に挙げられている作品である。『細雪』は〈天子様〉(昭和天皇)に献上されたが、通常は小説を読まない天皇が、この作品は全部読了したと谷崎は聞いたという[1]

目次

背景・出版経過

谷崎は第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)に谷崎潤一郎訳源氏物語(旧訳)を完成させ、1942年(昭和17年)9月下旬には山梨県南都留郡勝山村(現在の富士河口湖町勝山)の河口湖湖畔にある富士ビューホテルに滞在しており、その滞在中の様子をモチーフとした場面が『細雪』下巻に描かれている。
1943年(昭和18年)、月刊誌『中央公論』1月号と3月号に『細雪』の第1回と第2回が掲載された。夫人の松子、義姉、義妹たち4姉妹の生活を題材にした大作だが、軍部から「内容が戦時にそぐわない」として6月号の掲載を止められた[1][2]
谷崎はそれでも執筆を続け、1944年(昭和19年)7月には私家版の上巻を作り、友人知人に配ったりしていたが、それも軍により印刷・配布を禁止された。中巻(544枚)も完成したが出版できなかった[2]。疎開を経て、終戦後は京都鴨川べりに住まいを移し、1948年(昭和23年)に作品を完成させた。
戦後に発表が再開されたものの、今度はGHQによる検閲を受け、戦争肯定や連合国批判に見える箇所などの改変を余儀なくされた[1]。それらの過程を経た『細雪』全巻の発表経緯を以下にまとめる。
  • 1943年(昭和18年)
  • 1944年(昭和19年)
    • 私家版『細雪 上巻』(非売品)を7月に刊行。
  • 1946年(昭和21年)
  • 1947年(昭和22年)
    • 『細雪 中巻』を2月に中央公論社より刊行。
    • 下 - 『婦人公論』3月号-12月号
  • 1948年(昭和23年)
    • 下 - 『婦人公論』1月号-10月号
    • 『細雪 下巻』を12月に中央公論社より刊行。
  • 1949年(昭和24年)
    • 『細雪 全巻』を12月に中央公論社より刊行。
『細雪』はベストセラーとなり、谷崎は毎日出版文化賞(1947年)や朝日文化賞(1949年)を受賞した[3]
世界各国でも出版されており、スロベニア語イタリア語中国語スペイン語ポルトガル語フィンランド語ギリシャ語フランス語セルビア語ロシア語英語The Makioka Sisters(英語))・韓国語オランダ語チェコ語ドイツ語に翻訳されている。
なお、作中には年号の表記が出てこないが、作中で四季の移り変わりと大きな気象災害が克明に描かれているため、この作品は日中戦争勃発の前年1936年(昭和11年)から日米開戦1941年(昭和16年)までのことを書いているとされている[1][4]
『細雪』の舞台となった場所
兵庫県武庫郡住吉村(現・神戸市東灘区)の谷崎の旧邸は、保存運動がNPO法人「谷崎文学友の会」と地元住民によって進められ、六甲ライナー建設による移築保存を1990年(平成2年)に成しとげ、「倚松庵」と名づけられている。
岐阜県不破郡垂井町表佐地区(業平川)が5月下旬から6月中旬にかけての「蛍狩り」の舞台である。同町で谷崎が執筆する為に使用した「爛柯亭」は現在同県郡上市へ移築されている。

あらすじ

大阪船場で古い暖簾を誇る蒔岡家の4人姉妹、鶴子・幸子・雪子・妙子の繰り広げる物語。三女・雪子の見合いが軸となり物語が展開する。

主な登場人物

蒔岡家
  • 鶴子 - 長女、本家の奥様
    • 辰雄 - 鶴子の婿養子、銀行員
  • 幸子 - 次女、分家の奥様 -「ごりょうんさん」(船場言葉「御寮人さん」= 若奥様) 谷崎の妻・谷崎松子がモデル。
    • 貞之助 - 幸子の婿養子、計理士
    • 悦子 - 幸子と貞之助の娘
  • 雪子 - 三女
  • 妙子 - 四女 -「こいさん」(船場言葉「小娘さん」= 末娘)
その他
  • 井谷 - 幸子たち行きつけの美容院の女主人
  • 奥畑 - 妙子の恋人、貴金属商の三男坊 -「啓坊」「啓ちゃん」
  • 板倉 - 妙子の恋人、写真師
  • 三好 - 妙子の恋人、バーテンダー
  • 瀬越 - 雪子の縁談相手
  • 野村 - 雪子の縁談相手
  • 沢崎 - 雪子の縁談相手
  • 橋寺 - 雪子の縁談相手
  • 御牧 - 雪子の縁談相手、子爵家の庶子

蒔岡家は大阪の中流上層階級の家である。姉妹たちの父親の全盛期は大阪でも指折りの裕福な家だったが、代が変わるころには財産は減ってしまい、船場の店も人手に渡っている。本家は大阪の代々の家に住んでおり、長女の鶴子、その夫で婿養子となって蒔岡の名を継いだ辰雄、その6人の子供の一家である。
分家は阪神間の閑静な郊外、芦屋にあり、次女の幸子、同じく婿養子となって蒔岡の名を継いだ夫の貞之助、幼い娘の悦子の3人家族である。鶴子と幸子には雪子と妙子という2人の未婚の妹がおり、妹たちは本家と分家を行き来している。
物語の冒頭では、今まで雪子にあった多くの縁談を蒔岡家の誇りから断ってきたために縁談が減ってきており、雪子は30歳にして未婚であることが語ら れる。さらに悪いことに、妙子と間違えられて雪子の名が地元の新聞に載ってしまったことがある。妙子は奥畑と駆け落ちをしたのだ。辰雄は記事の撤回を申し 入れたが、新聞は撤回ではなく訂正記事を載せ、雪子に換えて妙子の名を出した。
記事は蒔岡家の恥となり、雪子のみならず妙子の名をも汚すことになった。辰雄の対処に不満を持ち、また辰雄の堅実一方の性格がそもそも気に入らない ために、雪子と妙子はほとんどの時間を芦屋の家で過ごすようになった。新聞の事件の後、妙子は人形作りに慰めを見出すようになる。かなり上手で、人形は百貨店で売られている。妙子は幸子に頼んで仕事部屋を探し、そこで長時間人形を作って過ごすようになる。
井谷が幸子に瀬越という男性との見合いの話を持ってくる。井谷に急かされ、一家は瀬越について調査が済まないまま非公式な見合いをすることにする。一家はこの縁談に乗り気になるが、最後には断らざるを得なくなる。瀬越の母親が遺伝するという精神病を患っていることが判ったからである。
数か月後、幸子は女学校で 同窓だった陣場夫人から縁談を持ちかけられる。相手は中年のやもめで野村という。幸子は外見が老けていることもあり特に良いとは思わなかったが、一応調査 をすることにし、陣場夫人には決めるのに1〜2か月の猶予を求めた。一方で辰雄は勤務先の銀行の支店長として東京に行くことになる。辰雄一家は東京に引越 すことになり、雪子と妙子も一緒に行くことになった。妙子は人形作りの仕事のためにしばらく芦屋に留まることを許されたが、雪子はすぐに行かなくてはなら ない。
雪子は東京では元気が無く、鶴子はしばらく雪子を大阪に帰らせようと提案する。幸子が雪子を呼び寄せる口実を考えているところに、野村について催促の手紙が陣場夫人から届く。縁談に乗り気ではないものの、2人は芦屋に雪子を連れ帰る口実として見合いに同意する。
見合いの直前に幸子は流産し たため、野村との見合いは延期される。1週間後、幸子、貞之助そして雪子はようやく野村と会うが、幸子は野村があまりに老けて見えることに驚く。夕食後、 一行は野村の家に招かれるが、そこで野村は亡くなった妻と子どもたちの仏壇を見せる。雪子は野村の無神経さに嫌気がさし、結婚できないと言う。蒔岡家は野 村の求婚を断り、雪子はまた東京に送り返される。

妙子は人形作りに飽き、洋裁と山村舞に精を出すようになる。舞のお浚い会が芦屋の家で行われ、妙子も出演する。板倉という感じの良い若い写真師が写真を撮っている。板倉は妙子の人形の写真を撮っており、妙子と知り合いである。
1か月後、関西地方は大水害に襲われる。妙子は最も被害のひどい地域にある洋裁学院にいたが、板倉が妙子を救出した。板倉の勇気に感じ入り、妙子は好意を持つようになる。やがて妙子と板倉の関係は幸子に知られるが、幸子は板倉の低い出自のため反対する。それでも妙子は彼と結婚するつもりでいる。
妙子は洋裁の師匠と共にフランスに行って洋裁の勉強をしたいと思い、幸子に本家への口添えを頼む。師匠がフランス行きをやめることになると、妙子は洋服店を開くことに決める。妙子は本家に資金援助を依頼するため東京に行くが、板倉が病気になりすぐに大阪に呼び戻される。
板倉は乳嘴突起炎のため入院していたが、手術の合併症からくる壊疽のために亡くなる。板倉の死で、妙子が低い出自の男と結婚するのではという幸子の憂いはひとまず消えた。

6月、辰雄の長姉が幸子に縁談をもたらす。名古屋の名家の出の沢崎である。幸子、雪子、妙子と悦子は辰雄の姉を訪ねて大垣に行き、そこで雪子が見合いをすることになった。見合いはうまく行かなかった。幸子はいい印象を持たなかったが、結局沢崎の方から断ってきた。蒔岡家が縁談を断られたのはこれが初めてだった。
幸子は妙子がまた奥畑と縒りを戻したと聞く。ふたりの交際がだんだんとあからさまになり、貞之助は鶴子に報告する。鶴子は妙子に東京に来るよう申し渡すが、妙子は拒否し絶縁される。
井谷がまた縁談を持ち込む。この橋寺は魅力的な相手だったが、再婚の決心がついていないようだった。貞之助は雪子を連れて橋寺に会い、話を纏めようと奔走するが、雪子の引っ込み思案のために橋寺は縁談を打ち切ってしまう。
その後、幸子は妙子が奥畑の家で重い病気になっているとの知らせを受ける。妙子は赤痢と診断される。病状は次第に悪くなり、姉たちはよい治療を受けさせたい一方、妙子が奥畑の家にいることを知られたくないために悩む。結局妙子は一家の友人の病院に移され、そこで緩やかに回復する。
一方で、幸子は妙子が絶縁されて以来奥畑に頼って暮らしていたことを知る。また三好というバアテンと関係があるらしいとも聞く。幸子は驚くが、今や妙子と奥畑は結婚するしかないと考える。妙子が回復した後、幸子は奥畑が家族から満州行きを勧められていると知る。幸子と雪子は、妙子が一緒に行くべきだと考えるが妙子は同意しない。雪子は、妙子は奥畑から多くの物をもらっており借りがあると説得する。妙子は泣きながら家を出て2日間帰らなかった。奥畑は結局満州へは行かないことにする。
井谷が経営する美容院を売って渡米する予定だという知らせが蒔岡家に届く。出発前に井谷は幸子に、もう一つ縁談があると告げる。維新の際に功労のあった公家華族の御牧子爵庶子で、45歳だという。姉妹が東京に行って御牧に会ってみると、その気さくな人柄にたちまち魅了される。東京滞在中に妙子は、三好の子を妊娠しており4か月だということを幸子に告げる。幸子と貞之助は妙子が有馬で秘密裏に出産するよう手配する。
蒔岡の家名を守るため、貞之助は奥畑に妙子の行状について他言しないよう求める。奥畑は妙子に使った金銭を補填することを条件に同意し、貞之助は 2000円を支払う。結局妙子は死産し、三好と所帯を持つ。蒔岡家は御牧家から求婚への返答を求められる。雪子はそれを受け入れ、貞之助は本家に同意を求 める手紙を送る。婚礼の日取りと場所が決まり、新居も決まった。雪子は婚礼衣装が届いても楽しげではなく、下痢が続き東京へ向かう電車でも止まらない。