2014年9月21日日曜日

日本近代文学の起源 柄谷定本集 第一巻

1 風景の発見: ①明治になり遠近法洋画とともに、それまで描かれなかった近代的個人による風景描写が出現した ―― 国木田 忘れ得ぬ人々 ―― ②風景という、それまで背景だったものが従前の宗教・歴史的主題にとってかわる。
2 内面の発見: ①言文一致は形象(漢字)の抑圧をもたらし、近代的個人に特有の内面描写(三人称単数客観描写)が可能となった ―― 国木田 武蔵野 ―― ②団十郎と黙阿弥の演劇改良は写実的かつ言文一致的であった
3 告白という制度: ①近代は性を抑圧し、ゆえに『性』の告白が可能となった ―― 田山花袋 蒲団 ―― ②佐幕藩子弟は多くキリスト教に惹かれた(大正昭和初期のマルクス主義のように)、庶民の間には普及しなかったようだ キリスト教はプラトニックラブを称賛したので、性的告白が重要になった
4 病という意味: ①西欧では18世紀に結核は、その痩身病苦の姿がロマチシズムと結びつき、19世紀に結核菌の発見により隔離の対象となった 近代日本には、これらが合わせて入ってきた ―― 徳富蘆花 不如帰 ―― ②『国文学』は、国学・漢文学を制度的に排除し中心化することによって確立された
5 児童の発見: ①近代の『児童』という概念は、ごく近年に発見形成された『風景』の一種。日本では児童文学は明治20年より10年ほど遅れ30年頃に発生した ②近代以前、大人と子供の間には青春期などはなかった。神経症における幼児退行とは近代社会特有の現象である ーー樋口一葉 たけくらべ --
6 構成力について: ①近代文学は『深さ』をもたらした。フロイトの深層心理、マルクスの下部構造は当人たちの意図から離れ、『知の遠近法』の基本理論となった ②当初、上記の流れの擁護者だった鴎外は晩年、纏まりをつける、つまり構成を嫌悪するようになった。これは日本独自の『私小説』(志賀直哉)につながった。-興津遺書(初版)と 阿部一族の相違ー③芥川は日本の私小説を当時の世界最先端、アンチロマンとして意味づけた。これは第一次大戦後の一等国意識がベースにあるのでは? ④谷崎の『構成のある小説』とは、モノガタリであり、それゆえ貴種流離という祝祭パターンの繰り返しである。マゾキズムは圧倒的優位感情がベース。  -谷崎潤一郎 痴人の愛ー
7 ジャンルの消失:フライによれば◎ノベル(以下の以外のもの),ロマンス(人物が類型的:神話、歴史小説、SFなど)、告白(知的理論的関心から発する、『折たく柴の記』)、アナトミー(ペダンチック:ラブレー、スィフト)というジャンルがある。これらすべてを含んで近代リアリズム小説はうまれた。
①漱石は江戸文学を基本におき、それを発展させるようにロマン主義、自然主義リアリズムという流れにのっとって作品世界をつくった。猫、坊ちゃんなどは子規のめざした芭蕉俳諧にあったグロテスクな笑いの復活(写生)であり、彼の大衆的人気の源泉ともなっている。さらに虞美人草・草枕などは馬琴を思わせるという。ちなみにバフチンは16世紀に勃興した民衆の笑いをベースとしたルネッサンス文学にあったグロテスク・リアリズムは以後急激に衰退し、ロマン主義時代には皮肉を主体とする小説やホラー小説として生き残った。世界的にはグロテスク・リアリズムは民衆の連歌俳諧、西鶴、ラブレー、セルバンテス、などにあらわれる。西欧では16世紀に頂点を迎え、ロシアや中国は数世紀遅れた。ゴーゴリ、ドストエフスキー、魯迅はそういう風にみるべきである。私見だが、アメリカではマークトゥエイン、南米ではガルシャ・マルケスか?③二葉亭四迷は、ロシア文学の翻訳体験から西鶴の小説にカーニバル的世界感覚を嗅ぎ取ったが、樋口一葉も同様の方向性を持っていた。しかし、これらは忘れ去られ、自然主義リアリズム・私小説、プロレタタリア文芸、白樺派、新感覚派・新興芸術派・日本浪漫派が昭和敗戦までの文壇を形成した

3 件のコメント:

  1. 国家が成立する時は、必ず音声言語中心主義になりますね

    日本においては、言文一致がそうですね

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    1. 書き言葉より話し言葉のほうが、より感情に近いためでしょうか。子供が帰省して数日すると讃岐弁になるような。明治の初めは、長州族、薩摩族が徳川族を駆逐したと思えばいいのでしょうね。井上ひさしの戯曲にも、たしか国語元年とかいうのがありましたっけ。

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  2. 感情に近いからだと思いますね

    言文一致といっても、ですますで終わる新たな書き言葉の創作ですからね

    新たな内面=近代的自我の誕生ですね


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