2017年5月11日木曜日

ユーカラ(抄録)

ポンヤウンペを育てた存在は姿を現さないため、何者かは語られないが、この謎の人物に何不自由なく育てられたとされる。少年の頃から弓の達人であり、蚊を狙えば、7、8匹を一気に重ね潰し、家の柱などに当てたとされる[3]。
その後の語りでは、今まで見たことのない「神の鎧兜」を身にまとう[4]。その時の語りでは、初め、中身のない人間と表現される。アイヌ民族には甲冑師の存在がないためか、鎧兜は神の国(カムイモシリ)から貸し与えられたものと認識されている。ポンヤウンペが身につけた鎧兜は、「金の小袖、黒の縅(おどし)、白の縅、赤の縅(中略)、美しい鎧兜」と表現されている[注 1]。鎧兜と宝刀を身につけたポンヤウンペは、神意のおもむくまま、生まれ育ったコタンを旅立つ。
この鎧兜を着用していると、多くの女性から夫が帰って来たと誤解された(錯覚させた)という。最終的には(後述の悪党6人を倒した後)、役目を終えた鎧兜は、雷鳴と共に神の国である天上へと消え去った[6]。
他のアイヌを侵略しようとする悪党6人と6対1の戦いをする。この悪党も数々の妖術を駆使した。この時、ポンヤウンペは、妖術を避けるため、分身の術で2、3人になった[7]。そして、最後は宝刀(アイヌ刀も参照)で一度に6人の首を切り落とした。
物語の途中、謎の怪力女(空も飛ぶため、やはり常人ではない)が味方をし、ポンヤウンペの代わりに、悪人に操られた怪力女(その美貌から結婚を何人もの男から迫られ、火口へ落としている)と火山火口の上で相撲をするも、ポンヤウンペが悪党との闘いに決着をつけ、駆けつけた時には、すでに遅く、敗れて、火口に落ち、死んでしまった。操られていた女性は悪党の妹であり、ポンヤウンペはカムイのお告げから自分の妻となる存在であると確信していたため、抱き寄せた。
ユーカラ2[編集]
全8戦記の序章の内容として、トミサンベツのシヌタプカ(現在の黄金山か摺鉢山とも[8])に大きな城(チャシ[注 2])があり、育ての兄と姉がいて、育った環境が語られる(父は樺太方面に交易に出かけたおり、亡くなったとされる[10])。この点において、ユーカラ1の「謎の人物」に育てられた内容とは異なる。
ある日、興味深い噂(こがねのラッコにまつわる話で、イシカリ彦が退治した者には、自分の妹と宝をやるとした)を聞いたポンヤウンペは育ての姉に怒られながらも、護刀である「クツネシリカ[注 3]」を携えて石狩の川尻へと向かう。そこで若き東方の人・ポンチュプカ彦や礼文島の人・レブンシチ彦、小島の人・ポンモシリ彦などがこがねのラッコに挑むもやられてしまう光景を見る。ポンヤウンペの番となり、一時、苦しめられ、負けそうになるが、退治することに成功する。ラッコの首をつかみ、天空へと去り、真っ直ぐにシヌタプカの城へと疾走してくる。
しかし、このことが原因となって、大戦となり、その度、クツネシリカの鞘や鍔、柄に彫りこまれた夏狐の化身や雷神の雄神・雌神、狼神などが憑き神となって、危急の度、ポンヤウンペを守り、刺し殺していった[8]。
ポンヤウンペに味方した側は、「ヤ・ウン・クル(丘の人)」と総称され、敵側の総称は、「レプン・クル(沖の人)」といわれた[11]。
各敵と戦った際、刀の他、棍棒打ちでの一騎討ちも行われており、敵味方共に女性呪術者が登場する[注 4]。敵の呪術者は戦の結末を予見し、ポンヤウンペに心を寄せ、寝返り、ポンヤウンペが敵を倒すと彼と共に帰郷している(敵の親族女性が最終的にポンヤウンペと共になる点はユーカラ1と同じ)

日本における近代アイヌ研究の創始者とも言える金田一京助の分類によると、ユーカラは、「人間のユーカラ」(英雄叙事詩)と「カムイユーカラ」(神謡)の二種類に分けられる。人間(=アイヌ)を中心として語られるユーカラは、主にポンヤウンペと呼ばれる少年が活躍する冒険譚である。
「カムイユーカラ」はカムイが一人称で語る形式をとっており、サケヘと呼ばれる繰り返し語が特徴で、アイヌの世界観を反映した、神々の世界の物語である。中には、神・自然と人間の関係についての教えが含まれている。
散文の物語はアイヌ語ではウエペケレという。

ウエペケㇾの名称は現在の日高町や平取町に当たる沙流郡で一般的であるが、地域によっては「トゥイタク」という名称で呼ばれることもある。話の内容は空想の物語ではなく「先祖の実体験」を語るものが多く、語る際は節や抑揚をつけず日常会話のアイヌ語を用いる。
叙事詩で伝えられ、節をつけて語るユーカラとは異なり、散文の形式で伝えられるのが特徴。また、カムイユーカラと同じく、人間が語る形式で描かれており、神が語る形式をとっている物語はほとんど無い。これらウエペケㇾの物語には飢饉や疫病、神にまつわる話や喧嘩の話まで、様々な体験を子孫に語り継ぐことを目的とした内容である。大抵の場合は、「私はオタスツコタンの村長です」のように、一人称で語られる。その一方で、内地民話の「正直爺さんと意地悪爺さん」によく似た「パナンペ・ペナンペ譚」では、「パナンペがいた。ペナンペがいた」と三人称で語られる。
話の出だしの部分では、主人公の生活の貧富や暮らしぶり、家族構成が語られる特徴があり、これらは物語の内容へ大きくかかわるものである。多くは主人公の名前が無く、明るい結末に終わる話が大多数を占める。また、物語における事件が終わった後、大家族に囲まれどれだけ幸せな人生を送ったかが描かれることが通例で、幸せに生涯を終えることが至福のものであるというアイヌの人生観をいくぶん反映している。


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