高地性集落の分布は、弥生中期に中部瀬戸内と大阪湾岸に[3]、弥生後期に近畿とその周辺部にほぼ限定されている。倭国大乱は弥生末期の2世紀後半。
高地性集落は、古墳時代(3世紀中ごろから6世紀末まで、592年に飛鳥がはじまる)前期には、西日本の広島・鳥取に、北陸の富山・石川・新潟に分布する
3世紀は尾張の協力で大和建国(卑弥呼は247年に死亡、266年以降150年は大陸との交流なし 369年に百済より石上神宮の七支刀、箸墓は3世紀後半、)
4世紀に大和が北九州を併呑(吉備と出雲の協力) 5世紀に瀬戸内航路の開拓(雄略天皇)
実在したとすれば崇神は4世紀前半、景行は4世紀中期、神功皇后は後期、応神〜雄略が5世紀
6世紀に前飛鳥時代が始まる(継体と磐井) 7世紀は飛鳥時代! 8世紀が奈良時代!
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